2008年07月05日

サミットみたい

 暑さで目が覚める。夏だ。

 ただ、変な話、汗かいてるから、深酒しても顔とかむくまない。

 サミットだからかな・だからだろう。そんな特集が多い。今もやっているが、NHKの各解説委員の討論はバカワイドショーなどと比べると数段質が高い。

 やはり温暖化の議論が大元になっている。人間活動が原因というコンセンサスは「異議」を唱える意見もあるが、これはもう動かし難い流れになってしまっている。おれは仮にそうであっても、「しょうがない」という立場である。ヒトの欲望に散々スイッチ入れといて、その後はしご外すみたいに「地球環境を・・」というマッチ&ポンプに反感を持っているからだ。たとえば中国の一般の方へ、だれが説得力を持ってそんなことが言えるのだろうか・と現実的に思う。

 モノを買わせる。このことに対する不信感もある。大量消費へのベクトルはもちろんわかりやすく「モノを買わせる」ことの奨励だったが、翻って「地球環境を・・」というベクトルも家電製品の最近の省エネ対策の成果を強調するのもよくわかるが、「環境ビジネス」で必ずぼろ儲けしている誰かがいるはずだ。これは「ムード」である・という気もする。儲ける誰かがいて、それをメディアで煽れば、そこに大きなマーケットができるわけで、なかなかその手法は巧妙で洗練されている。いまや「環境にやさしい」は錦の御旗であるから、というのになにかうさんくささ・を感じるのだった。

 たとえば電気を作る時、火力発電は大量の「化石燃料」を燃やし,大量のCO2を排出する。これダメね。水力発電はダム建設だからわっかりやすい環境破壊。これもダメね。そこからなのだが、じゃあ今稼働してる「原発」しかないでしょ・という、環境に「やさしい」しね、という「倒錯」を正論になんかすぐできちゃう・という話である。そんな時に風力発電や、波力発電や、地熱発電、太陽光発電なんて「メジャー」な手法としては扱われないわけで、「うーん・ま・いいと思うんだけど、ショボ過ぎてさ」という話になるのだ。ひとつの例だけど、この「環境・CO2・温暖化」というセットでわかりやすく、電力会社はぼろ儲け間違いなしだし、「原発の可動」が「正しい」という刷り込みもできるという一石二鳥をゲットだ。

 これだけ欲望を喚起し、煽っておいて、地球やばいから「我慢してちょ」とはその合理性に於いて「は?」だと思う。だから、欲望で血管膨張しているたとえば中国の方々に、何をどう抑制してね・と言うのかという話なのよ。お先に贅沢してしまってる人が言うわけ?
途上国は今・消費に目覚めてしまったわけで、目覚めさせたのは先進国な訳で、その不公平感を解決しないまま、次は「シブい生活を目指せ」ってのは「通用せん」という気がするわけよ。

 先進国をおじいさん、途上国をワカモノと戯画化してみたら、さほど外れてないと思うのだけど、やっぱ一通りやることやりたいよね・ワカモノとしては。再度言うが、それを煽ったのは先進国の資本なんだからね。

 ひとつ思うことは「地球それ自身のオートノミー(自律性)」だ。おれたちの身体もそうだが、有機体はそれ自身病気しても自然治癒力ってあるじゃない。地球はそういう柔軟性を必ず持っていると思うのだ。核戦争の後でも何百年かしたら自浄作用によって回復する・みたいなね。人間がいなくなった後のシミュレーションなんか見たら、人工物だけがどんどん崩壊し、動植物が繁栄し、あっという間に、ジャングルになる。地球をなんとか・という議論がどうもかいいところに手が届かないニュアンスを持ち続けるのは、今生きてるキミがボクがエラい目に遭うから・・・という危機感ではないかというパラドックスを感じる。キミがボクが邪魔かも知らんわけでしょ、地球にとって。ここまで悪知恵もっちゃったキミとかボクとかほんとは排除したいんじゃないかな、地球は。そんな考えもあるのが「フェア」な気がする。迷惑かけた分、みんなで責任取ろうぜ・ということかも知らんからね。その後で地球は「たまらんなー、でももうオッケー」なんて呟いてるかもしらんからね。でもすぐ忘れるんじゃないかな。46億年を一日にしてみたらキミやボクの「迷惑」って数秒のことだからね。

 まあそれでも、自分としては、「BACK TO 70〜80s初め」という心のムーヴメントを展開してる身としては、TOO MUCHの便利さ・快適さは人間の本質を脆弱にさせる・って気が直観的だがしているから、少しぐらいの不便さはかまわない。おれは、自分で料理もするし、洗濯もする。掃除は苦手だが、クルマもマニュアル。一般的ではないんだね。だから平気。

 ヨーロッパはものすごく好きだが、ややひっかかるとこもある。今CO2対策にものすごく厳格に取り組んでいるヨーロッパだが、やっぱ地球に対して「上から目線」なのだ。対策・ということからもわかるように、自らの姿勢・行動によって地球を変えれるという「思想」があるわけよな・そこには。それは裏を返せばそれまで地球をいらってきたということでしょ。一見して合理的ではあるが、やや人間と地球の乖離といいますか、そこにも「やや殺伐」を感じるものである。アミニズムの気配がなんにも感じられない。地球はそれと一体化するものではなく、彼らにとってぱやっぱり常に「対象物」なのかな・と思う。

 そこには「地球の意思」を尊重してるフリしてやっぱしてない・とこがあるんじゃないかな。「現実的」にはヨーロッパがもっとも今地球のこと考えてそうなのだけど、実際そうなのだが、ほんとのとこ最初のボタンの掛け違いの遡っての修正はなされていない。

 実は「ジミ」な生活、非アメリカ的な生活の伝統があるから今のそんな政策を実行可能なんだと思う。日本は一周してなんでもアメリカ経由で入ってくるから、ものすごくストイックに見えるけどね。

 だから日本人も自分の足元見つめてみたら、アメリカの顔色うかがわずに自分自身を見つめてみたら、ヨーロッパ人たちとその末裔のやり方とは「哲学的」に異なる、地球との付き合い方が自ずと「編み出せる」はずだと思うが。おれは決して右のヒトではないけど、日本の伝統や個性や食べ物は好きだ。なぜかというなら、独自のものだから。そして、その中で自分の祖先がもまれてきたという事実に反応してしまうから。

 過去のことを考える際に、その過去の人々の試行錯誤のおかげで今おれたちがあることを忘れてしまってはいけないと思う。言葉・食べ物、その他いろいろ。そこに愛おしさを感じるのだが、今もめてる曾根崎のことも、街・というにはちっちゃすぎるが、露地だけど、そこを「過去の歴史をふまえてその、財産とも言える文化やら伝統やらひとの体温やら息づかいやらが何層にも蓄積した場を最大限自分と他人のために活用する」ことに関しては、ねえ、地上げ関連でおれを困らせてるみなさま、あなたたちよりおれの方が100万倍エラいからね。エラいから勝つとは限らんけどね。

 

 
posted by 浪速のCAETANO at 12:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 世界・地球 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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