2008年07月06日

大目に見てよ

 時間があったので日本橋まで1人力。

 最近はカネはないがヒマはある・という大学生時代に戻った感じ。当時住んでた緑橋界隈からも八尾や千林までチャリでよく行ってた。チャリはクセになるとほんとにクセになり、それはどうしてかな・と思うのだがとっても簡易・なのね。煩わしくないのね。切符買う手間・省略。階段の昇り降り・省略。電車待ち時間・省略。駐車場探し・省略。駐車場料金・不要。信号待ち・だいたい省略。狭い道・問題なし。逆行・楽々可能。Uターン・随時。ざっとあげてもそんな感じ。

 チャリ乗ってると、都会の中の「個」を感じるね。クルマだと一人で乗っててもそうではない。助手席に誰かが乗る前提があるからだろうか。本日は「炎天下」だとさすがにヤだな・と思っていたが、いい感じに曇ってて、火照った身体に風が気持ちよかった。帰り店に寄って「ただ飲み・ただ食い」してこようかと思ったが、塾生からの忘れ物の電話で帰らなきゃいけなくなる。日本橋往復の後はさすがに行けない・無理。

 本日は日曜だったから、クルマも多くなく、傍若無人系のサイクリングができた。ただ、大きな路、たとえば梅田・梅新、あそこらへんは、チャリにとっては難敵である。すぐそこなのに渡れないのだ。そこまで行くのにむちゃ遠回り。クルマの為に路はある・ということだね。それに関してはノーコメント。

 ある時、江坂のほとんど神崎川に近い場所の道ばたにおまわりが数人集まってた。なんだなんだと思って見たら、足元に真っ白いネコが横たわってた。その横たわり方の脱力感があまりにも・でクルマにでもはねられたかな・と思ったのだが、その集まってるおまわりの顔がミョーに明るい。だから、推測するに、なんか悪いことを想像した誰かが通報したみたい、あまりにも脱力したネコが路の真ん中ではないが端っこでもない中途ぱんつなとこに「倒れてる」なんてことだったのだろう。たまにクルマも通るのだ・その路。

 で、今日また同じ場所を通りかかったからいないかな・と思って振り返ったら、おりました。今日は橋の欄干の窪みのところにうまく嵌まり込んで、しかしながら前回と同等の「脱力感」で。そんな脱力してるほどだから、癇癪持ちではないとフんで、おれも降りて話しかける。警戒した感じはなく、触らしてくれたし、撫でさせてくれたしゴロゴロ言っていた。しかし、その「わしもうどーでもええけんね・度」がハンパじゃないのだ。珍しいタイプである。よう似たのがうちにもおるのだけど、青空の下でそんなことになるなんて奇跡的である。また夕方に行ってみようと思う。

 そして糸田川の堤防には以前は双子のネコでどちらも名前は「ちーちゃん」というネコがいた場所に、ペロの2/3ぐらいのやつが寛いでいた。ネコが屋外で寛いでいるのを見るって、なんて幸せな気分だろう。警戒心が、ネコであり、イヤな思いが一度でもあれば警戒するのだ。奇跡的に幸せなヤツらがまだいる・ことになんだか感謝したい・と思うのだ。

 世の中は、というより世界は不幸のベクトルに覆われたかのような様子でそれはきつと間違いはないのだろうが、何かが何かを頑ではなく、守ることもまだかろうじて出来るのだ。そこに希望を見いだす。気のせいかもしれないが。世界各地では「暴動」が頻発している。きっとその人々は「健康」なのだろう。日本は暴動は起こらないが、自殺と家族殺し、知り合い殺し、無差別殺人である。ヒトは限界を超えるとモたないのだ。暴動にはガス抜きの意味合いもある。横の連携がある社会ならそれがいい。しかし、個人なんて概念のなかった日本人が「個」に分断され、暴発するのを見るのはなかなかヘヴィだ。おれたちは「暴動」を起こせるぐらいの結びつきを回復させることが今緊急に求められることなのじゃないか・と思う。だからその時「暴動」で捕まったぐらいで、「白い目」で見るのはやめていただきたかったりするわけである。そんなときだけの世間はいらんのよね。警察権力もそこんとこ・大目に見るべきよね。いろんなこと大目に見てあげてはじめて、あんなネコたちの性格が形成されるっちゅうことなのだから。それはさらに関わるヒトを幸せにするわけで、「正の連鎖」がないんだからね、イマドキ。

 
posted by 浪速のCAETANO at 20:20| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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