2008年08月02日

シャンパン11本よりはじめて

 11周年のバカむき出しシャンパン11本開けるしな宴会は無事終了。

 まあおれ自身はそう無事でもなかったけれど、まだあっちこっちに切り傷・擦り傷・矢がささったまま・弾の貫通の後・いろいろありますが、いろいろあるのが人生でもあった。

 しかしだよ、周年はこれで終わりになるのかどうか、よーわからんままでいうなら、そこら辺に漂う不穏な空気をとりあえず忘れて関係者集まれてよかったのかな。

 まあ儀礼的なことはそんなに好きではなく、しかし、店に行くことが昨日は待ち遠しかった。宴も終わり、前述の傷だけならともかく、ルワンダのフツ族みたいに大ナタで斬り殺されそうだったから、朝方放ったらかしにして一人帰って来たが、なんと言うのだろう、トドムンド包囲網がじわじわその間合いを詰めて来てるのは実感する。それは決断も同時に迫るものであって、ちょっと胃が痛い日々の始まりかもな・と予感させる。

 ただね、おれもようわからんのよ。わからんのだけど、何かを清算しないといかん時期なのかな。気持ちがなんか晴れんのね。そのようにしてロング・ホット・サマーは進行していく。

 今年の夏は南部のブルースをよく聴く。スコーンと抜けがあるわけでもない、この音楽は出口のないデッドエンドの中でも人が生きていることをよく分からせてくれる。延々繰り返されるその12小節のなかで山あり谷あり、しかし何も変わらないのだが、なにも変わらなくていいのよ・そのままで、それを何度も繰り返していいのよ・とその12小節は教えてくれて、哲学的でもある。その12小節はもうカラダに沁み込んでしまっていて、バックがなっていたら、いつまでも鳴っているかぎりギターを弾けるのだが、不毛のうぶ毛はうぶ毛のままでそれは値打ちなのだ・と言っているようにも聞こえ、心地よい気怠さの中にどこまでも堕ちていく。しかし堕ちても堕ちても底がない。麻薬的である。それだけでよかったのかな・ひょっとして、と思わせるものがある。ヤバいね。ビートを割るのも伸ばすのも弾く人の裁量に任されるわけで、びちびちに管理されているようで実はもっとも自由の幅が広い音楽であるよね。しかし、ああー・気怠い。単に二日酔いという噂もある。
posted by 浪速のCAETANO at 15:51| Comment(0) | TrackBack(0) | TODO O MUNDO | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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