2008年11月19日

MISS AMERICAよりはじめて

 今日クルマの中でDAVID BYRNEのMISS AMERICAの歌詞が引っ掛かって、なんと言うか、DAVID BYRNEはアメリカ人ちゃうな・という結論になった。

 視点が「外部からのそれ」やんな・と思った。ということは、同じようなアティテュードを持ってるなと思えて、少し嬉しくなって、アルファロメオは加速した。

 「おー・スーパーガール、きみは時々「なんじゃそれ」ながらぼくのスーパーモデルとなるだろう。」という一節が大好きなのだが、それは「哀しみは女である。サンバがサンバであった頃からずっと」や「魚の見る夢・それは形のない色」などと同様に、少々手前味噌も加えつつではあるが、詩的言葉の可能性への挑戦でもある。やや、わかりにくいですよね。ま・それはおいといて。

 いつの時代も先輩の言葉は、挑発的で刺激的である。

 その「先輩」ディヴィッド・バーンは5度目かな・6度目かな、イーノとともに来日するみたいで、愉しみが一つ増えた。やっぱり特別。

 日本人は、ロックがわかっとらんから、おれぐらいのトシのやつでも「クイーン」が好き・なぁんて「恥ずかしい」人々・多い多い。けっこうびっくりするほどいる。ギタリストだったらクラプトンなぁんて、うわー・恥ずかしい。それ、シロートの意見と同じやん。アホの業界人とかたいていそんなレヴェルなのだけど、いや別にいいんだけどさ、みなさんホントに「安全」がすきである。こんなとこにも「安全」だ。

 クラプトンも「オーシャン・ブールヴァード」はいい。アメリカ南部への憧憬を素直に
出したアルバムでそれは今も聴いたりする。あと「NOBODY KNOWS YOU WHEN YOU DOWN & OUT」のギターもいい。でも、すごくはない。神様でもない。そんなレヴェルである。

 みんながいいって言ってるから、無批判に思考停止して、じゃそれ「好きになろう」というのが、なんじゃそれ・と言っているだけの話なのだ。無名の・と言っても一般的に無名というだけで、おれの中では超有名なのだけど、人と違った好みをビルド・アップするのも、また悪くないよ・と言っている。

 昨日の元厚生省事務次官の殺害は一体何なのだろう。「プロ」の犯行だと思うが、空気の共通性から、みんな口に出す・出さないは別として、「戦前」の閉塞感との共通項を感じていると思う。いや・全員ではないと思うが。ワカモノたちには「お初」の情況だもんね。別におれが体感しているというわけではないけど、わかるもんはわかる。

 自殺者3万人超を誇るこの国なのだけど、自分の命のカルさは他人の命のカルさにすぐ結びつくだろう。

 みんな何かに怨念を持ち、何かに復讐したいと思っている・と考えられるが、ではそう彼・彼女を思わせるに至ったものはなんなのだろう。

 簡単に言えば、新自由主義だと思う。簡単に言い過ぎたけど。

 あと、それを補完する機能を持ち続けたマスメディア(主にTV)だと思う。資本主義の究極形態としての情報資本主義の時代になって久しい。かれこれ30年ほどの実感があるが、実際にはみなさんの実感としては20年ほどだろうと思うが。

 どんなことが起こったか・といえば、これは実感だが、尖った・だれもやってないような・先鋭的カッコいいこと、これらがその立場を引きずり降ろされ、みんなのものになる・という過程がそこにはあって、つまり「消費」のアイテムとして他のものと同列化・等価化され、例えばそこではDEVOと氷川きよしが並んでデパートの屋上でライヴしてるような情況があって、その変な度合いで言うなら、まあどちらもヘンだが、時代と激しくスパークしたDEVOと「やだねったら・やだね」のオカマのにーちゃんがほんと同列に扱われるような・ちょっと極端なことになってきたが、ことに関して、「うーん・どーも我慢できん」というような感がずっとあり、そんな極端なことでなくとも、M沢とブラジルのミュージシャンとかの共演なんかにもそんな変な歪みを感じたりするわけである。

 で・ね。とは言うものの氷川きよしだって西川きよしだって時代の暗黙の「要請」がきっとそこにはあったわけで、と・なると、それを同列視・等価と見てどこが悪い・というバカ音楽評論家の意見に反論出来ず「うううう」と唸るだけになりかねない。西川さんは、さほどかんけーなかったですね・この場合・とばっちり。

 と・なると、時代の質がちがうのだね。おっちゃん・おばちゃん向けによく60・70年代の歌のコムピレーションなどよくTVショッピングでやっているが、それが成立するのがよくわかる。あの時代はウルトラQのぐるぐるぐにゃぐにゃでまだ日本はきっと「先進国」ではなかったのだね。同様に80・90年代のコムピも発売されているが、誰が買うねん・そんなもん・という気がしてる。

 よく言われる話なのだが、やはり歴史は終焉してしまったのだ。長い時間耐用性のあるストーリーが不可能なのだね。だから誰かを「大御所化」してそのストーリーの名残を嗅ぎたいわけね。クラプトンがそうなったのはそれはそれでしょうがない。

 おれたちは今・決してぶつかることなく空間を漂う粒子みたいになっている。

 欲望がマーケティングにより喚起され、ではそれが満たされることでプライドが保てると思うのだが、マスメディアはあまりに多くの人々が情報に接し、競争も激しく、その欲望が成就される可能性は低い。ほぼ全員がフラストレーションを抱えることになる。ちいちゃなガス抜きができる人間はいいだろう。加えてこの不況による理不尽な社会情況である。それぞれの人々のちいちゃな世界はさらに圧力を加えられ、もっとちいちゃくされようとしている・と感じる人も多かろう・と思う。

 オタク化出来た人は幸せなのだろう。ちいちゃいものをちいちゃいものとして受け入れ,その中で密度を高めていく。オタク化したことでそれがプライドに転化していった例を何件も知っているが、しばらくはそれでいいのだろう。いつまでもいいかどうかはわからない。たとえば「エロゲー」ばかり一生やってられんからだ。一般化の要請と本人の要求はかならず表面に出てくるだろう。そのとき・ちょっとアブナい。

 ちいちゃいものはちいちゃいなりの良さもある。ただ、世界が、特に日本の中で、大きいものが大きくなれたことの諸条件を忘れ、大きなものとしての振る舞いに礼節を失すような傲慢さを見せ始めたのは注視しないといかんと思う。トヨタのおっさんの発言にわかりやすい。ただ「壊れない」だけのクソみたいな安モングルマをビンボー人が買ってくれたからGM抜けたんちゃうん。なんだか日本の・アメリカもそうだが、企業人、勘違いしてるんじゃないのか。資本主義の行き着くところが「その程度」のところであるなら、せっかくいい機会だから、IMFとアメリカを救う為に10兆円あげる・なんてとんちんかんなことやめて、それを国民の為に使ってよ。見事なるバカがそこにはいた。

 
 
 
posted by 浪速のCAETANO at 11:33| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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