2008年12月20日

あと10日

 東京のどこかのなんちゃら部分で煙が出て、ネットがダウンしてた・という。

 脆弱だ。

 そんな脆弱なものをベースにおれたちはある部分を生きている。ただ、そんなものは以前はなかったもので、ないならないでよかったはずのものが今やあって当たり前になって、それがトラブると、1日の生活の中で酒のないメシみたいなそんな気にさせられる。

 不憫なことである。

 同時に生物としての生命力も多分弱められている。

 不憫なことだ。

 ネットの便利さ・これは否めないけれど、ネットのヒドさ・これも誰もが「だよね〜」であろう。

 言葉がそれを発する当人と存在する位相が異なるということがここまで言いっ放しのやりっぱなしの・なんてことに・・・・なるんだね。

 秋葉原の加藤・が「誠実」に見えてくる・というものである。レスポンスした誰かの言を「真に受けて」ネガティヴに盛り上がって人殺しちゃったわけだから。

 不器用な人間にはつらいシステムだし、もっと言えば世の中だ。あ・これは昔からそうだね。

 だから、本体の安全を担保しながら、そことは異なる位相での罵詈雑言のやつら、ここんとこ法律を体内化しているわけだけども、そういったア リトル ビット クレヴァーだが決して友人にはなりたくない「小市民ども」よりも加藤の方が愛おしく思えてしまうのである。

 カンケーないヒト殺しちゃいかんけど。しかしね・あいつが正当に自分の窮状を訴えたとしても誰がそれに聞く耳持っただろうか? 人を殺すぐらいなら、自分がもっと派手な抗議的死に方を選ぶべきだった・と思う。

 そんな「余裕」も「根性」もなかったわけだしね。やっぱコドモの頃に殴り合いの喧嘩しないといかんよね。

 ただ、加藤の気持ち・の理由のような出来事がもっと大規模でいま起こっているわけだから、おれはやっぱりそこには「政治」で救うしかないと思う。共同体は不可欠であるが、それは当人のいる場・という「運」にも左右される。共同体を作れない・そんな孤立した人間がものすごくたくさんいる。言わばそれらは「両輪」だ。

 しかし、作りたいと思って作れる共同体ではないことも、現代のネックであって、むしろ共同体なんちって、言葉にした瞬間・何かがふーっと飛び去っていってしまう。

 自然発生性ってのがものすごく難しそうだ。だからやむにやまれず一緒にいるしかない・なんてのがしょうがなくって理想的なのかもしれない。

 しょうがないこと・ってのが最近「好み」で、これはもう「運命」なのだ・と思えてくるからであって、ものすごく理想とは・大阪とリオデジャネイロぐらい・遠いのだけど、そんなものを「善し」とする自分がいる。

 やっとそんな心境になれてきた。

 TODO O MUNDOはあと10日だ。今・弁護士を通じて、正月の2日・3日までの営業許可を取ってもらおうとしていて、非在阪の方々のためと、大晦日のやっぱライヴはあった方がケジメがつくだろう・という考えに基づいているのだけど、みなさん・どう思われますか?

 冬期講習の間・おれも身動き取れないし、31で終わっての「夜逃げ」的なニュアンスはどうも・人間ちっちゃくなっていけない。

 おれがいる中でやっぱり余裕を持って「終わりたい」と思うわけ。「責任」ということもあります。

 まだ・返事は来ないけれど、そんな要請を今してます。

確認用見本.jpg
大体4パターンほどできそうな感じです。

 本日も・きっと失禁でしょう。アテント。

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posted by 浪速のCAETANO at 13:48| Comment(0) | TrackBack(0) | TODO O MUNDO | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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