2009年01月17日

さて、オトナのアホはSurviveできるのか?

 本日2.5階建てで忙しい。

 高校生はセンター試験へ行っている。あんまり関係ないんだけど、腕試しみたいな感じ。

 このころになると中学生がプレッシャーに潰されそうになってくる。毎年のハナシなのだけど、「生真面目」なやつほど、そうなる。

 メンタルのケアがなかなか大変なのだ。うちの塾のように「距離」が近いとよけいに「何かをしてあげれる距離」だから何かをしてあげることになる。

 偏差値崇拝という考え方はうちの塾にはないから、チャレンジするならチャレンジもいいが、無理しないでね。こんなところでエネルギーの源を傷つけちゃいかんよ・しかし、無理じゃない場面では自分の限界値を自分で確認してみてほしい・というところである。成果も上げなきゃいけないが、何かを犠牲にしてどこかに手が届くことが、その人の人生をホントに幸せにするか・という疑問はやっぱりあって、学歴と将来のひらけ方が比例するのかどうか、これもアヤシいものだから。

 その根底には「人の評価」ってムヅカしくもめんどくさ・であるし、レーベルが貼ってあった方が、評価する側も思考停止できて「楽ぢゃん」てことがある気がする。

 もちろん高学歴で能力と人格を兼ね備えたりっぱな方たくさんいらっしゃるが、それはそのヒトがそうなのであって、そのヒトからさかのぼって見た時にそうであったという十分条件なのであって、逆は真なり・は必要条件に過ぎない。よって逆は偽。そんな実例パターンがクローズアップされがちの現代でもある。

 だからといって、パーではいけない。ここらへんから、あーでもないこーでもない・と思考はループしていくのであるが、こちらも思考停止してしまえばヒジョーに楽なのだけどね。

 塾のチラシの2009年度版を考えているからこのような話になってしまうわけだが。

 できれば、殺伐としたデータの中に呑み込まれないでもらいたい・といつだってそう思いながらやっているのだが、親だってそこまで余裕を持って息子娘を見守るなんてのはまれで、なんだかおとーさん・おかーさんのリヴェンジのニュアンスも多分に有り、そんな方々はまあいわゆる「消費者」なのね。そこから先はこちらも「殺伐」のフィールドへと誘われることになるのだが、「お得」「おいしい」なんて言葉が親子から今平気で会話の中に出てくる情況であって、なんだか自戒の念を込めていうとするなら、おれたちぐらいの年から下の世代はやっぱり子供など作るべきじゃない・と「一般論」として言ってみたい気もするわけである。そんな子供のおかげでメシ喰えてきたわけだけど。

 しかし、子供を育てるというのは余裕が要る。絶対に要る。経済的な余裕から始まって、もういろんな余裕が要る。

 自分は幸か不幸か子供はフォーマルには作ってはないが、子供らと付き合うことにより、その親としての役割に関して「代償行為」を延々してきたのかな・という気もする。はなはだ無責任な立場ながら、無責任であるからこそ言えることやれることというのもあったりする。

 子供が育つに不可欠な親以外の「近所の・かつてはにーちゃん、今ならおっちゃん」としての役割。そんな人間がいるかどーか・って大きいのよ・いや・まぢで。

 オトナのアホって今とっても生きにくいんだけども、これこそがもっとも社会に必要って気もしてるわけよ。
posted by 浪速のCAETANO at 13:57| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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