2009年03月04日

一言、物申しときたいのね

 昨日・怒りに任せて書いていたら「JSOUL」なんてのは、まあおれたち音楽に関わる人間から言うなら、間違いなく「また新たな金儲けジャンル」の創設をどさくさ紛れにやりよったな・と思うのが常識なのだけど、実際はEXILEの拡大判の何かだったみたい。

 日本の「R&B」ではないR&Bとかの方がやっぱりホンモノっぽくコドモを騙せるもんな。そこは本国アメリカと「切る」のって得策じゃないもんな。

 しかし、なんでこんなことを言うとるのだ・おれは。ものすごいエネルギーの無駄である。

 昨日、ミーツが北摂の特集らしくて、取材の依頼が来た。クルマ・マルタニ塾は、今回で最終回になる。いやー・ミナミのバーの店主の人々・「おれも出たい」「あたしもー」なんての殺到してるんだけどねえ。ちょっともったいないなあ。

 次はこちらから「企画」を持って行ってみようか・とも思ってる。Lマガジンも廃刊になっちゃったし、雑誌業界も北風いまだ止まず・な様子だが、ミーツ・リージョナルという雑誌に関わって(というてもハナクソほどの関わりだが)、もう音楽の事を書く欄もなくなったし、クルマだけだが、そのクルマも、ほんとはもっとマニアックであってもいいのだが、大衆迎合路線なんて結局はなぁんにも生まずに終わってしまうのである。

 大衆社会では、個性というものは、どのジャンルに於いても、没・非、の方向へと進む訳で、それは如何ともし難いのはよくわかるが、どうせなら「ヘン」なことの方がおもしろいぢゃん。まあ・最初の「愛車精神」はその点、面白かった。変なクルマ、まあそれもギリギリ90年代初めぐらいまでか・と思うが、そこまでのデザイナーとメカの方々の気合いの入った・各国の文化をベースに持つ・そんなクルマたちの愛おしさは今思えば懐かしい。

 イマドキ・そのようなこだわりを持ち、クルマに乗るということは、まあ「奇人・変人」の類であるのだが、それでもしかし、そこには常人のわからない苦労とヨロコビ・知識智慧などがあり、それは当時のクルマ自体が、工業製品とは言えども「血の通った」何か・であったことと無関係ではなく、では、何故そんな事が有り得たのか、と言えば、バカはバカのままでいてくれたからなのである。情報が「特権的」であったからなのだ。情報の中のコアの大切さがまだあったからなのである。情報の切り売りがあんまり意味を持たなかった・というか、ウィキペディアほどの情報は情報とは言えなかったからである。そのコアに潜む「秘密性」と、言葉には出来ない「テクスチュア(手触りとでも言うべきもの)」の感触こそが情報であったからなのだ。インテリジェンス・という言葉が近い気がする。

 今は、そのインテリジェンスに近いもの・は、バカ相手の一瞬の、例えばTV番組の特集の一部に、あるエピソードとして挿入され、一瞬ヒトを驚かせ、しかし、消費され、明日にはほとんどのヒトがお忘れになっている・というほどのものである。じゃあ、そんなもの使わなくたっていいぢゃん・などとおれなんかは思ってしまう。

 マニアックが非マニアックの側からの、料理に対する香辛料みたいな使い方をされることは、どちらにとっても不幸だったりする。すべてがコーティングされ、のっぺりした日常のアイテム化を目指す中で、その内部にはいろんな一見役に立たないインテリジェンスが、埋もれているわけである。しかし、それらの使われ方を知る人間は急激に減っていってる・ということなのだ。

 雑誌が売れないのを、不況のせいだけにするのは編集者たちの怠慢をそれこそコーティングしてることにならないかい?

 
posted by 浪速のCAETANO at 13:46| Comment(1) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんな話もございました
ttp://d.hatena.ne.jp/gotanda6/20090304/exile
Posted by mista at 2009年03月08日 16:06
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