2009年03月12日

困ったものなのだ

 ビンボー・いとまなし、な日々を送っている。

 その間にいろんなことがあった。あちらこちら、内部外部、右でも左でもいろんなことが起こっていた。まだこれから緊迫感は維持しないといけないが、それも有り難かったりする。

 政治に関して言うなら、今、小沢くんが失脚してしまえばもう日本は変わらない・ということだ。たとえ民主党が政権を取ってもW/O小沢では顔が変わっただけで、官僚支配そしてアメリカ追従、そして全国津々浦々を覆ってるみんなのいやーな無力感に変化がないということだ。

 小沢くんが失脚しなかったとして、それができるかどうかはわからない。だけど、他の人間だったら、それができないことは確実である。メディアは二階くんと小沢くんをセットで排除という方向へ向かっているし,自民党はそれで味しめちゃったと思うが、乗せられちゃいかんと思う。

 このやり方はとってもダーティなのであって、みなさんもっと構造を知るべきだと思う。清和会と経世会の流れ。小泉くんの「改革」の意図と総括。そんなことを。

 この10年でこの国は随分変わってしまったし、この3年でももっと変わってしまったし、この半年でさらに「決定的」に変わってしまった。人心が荒れる・荒むとはこんな状態なんだなあ・と実感する。「希望」を持てんというのはこんなことなのだなあ・とも思う。人心が荒れる・それにも増して、こんなにアホだらけになっちゃった時代もまた珍しいかもしれない。救われない。

 自分を痛めつける人間に対して何もせずにただじぃーっと「見てる」。そんなことである。自分の上位に向かっての反抗はせず、そのうさは自分の下位へと向けられる。みんな生物学的なチカラは有り余っているのだ。ただ、それを発動する場が少な過ぎるのね。その回路を作らないと。結局そのチカラは無駄に使われ「内ゲバ」となる。「敵」の思うツボであったりもする。

 小沢くんに見られるように「検察・警察国家」の意味合いがどんどん強くなっているわけで、それはメディアがつまんないことで騒ぐ裏側で着々と完成へと向かっている。もう完成しているのかもしれない。そして新自由主義のニュアンスはいまだにみんなの中からは消えていない。そもそも個人という概念のない人々が個人・と言い出すと、それはほぼ自分勝手と同義となる。何かが最初から間違っていたのだけど、それを最初からやり直す気力はもうみんなにはない。

 困ったものだ。いや・ほんとに。
posted by 浪速のCAETANO at 12:56| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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