2009年03月13日

間に合った!!!

 昨日今日と蕎麦食い過ぎ・のある意味幸せ・と言えるかと思う。

 おれは基本的にお店などで自分のことを「名乗ってどーこー」しない人間なので、顔は知られているが、今回みたいな事があると「それは誰・きっとあの人かも」なんて思われていたみたいで、その通り正解・みたいなことで、「あ・やっぱり」なんてことになってた。

 積み残しになっていた高三・見事後期で受かった。良かった。東大京大阪大だけが受験じゃないのよ。そんな大学ならばもう既に生徒たちの潜在能力もストックがないほどに今なら小学時代から掘り起こされているはずなのであって、その中での仕上げみたいなものだと思うが、うちのやつらなんてぽーっとしてるのである。競争が嫌いでおれんちに来てる訳で、その中で和気あいあいと勉強して、バカ話して、それで大学受からそうとしてるわけなのである。そんなやつらがみんな(総勢7名)それなりの志望校合格である。誰にも無理はさせなかった。だからみんな受験生特有の「病んだ感じ」がない。それがおれの「誇り」である。

 受験に病まずに合格させること、これは受験産業には無理な話なのであって、それはなぜかというなら、塾のHPにも書いているが、産業となれば業界なのであって、成果の競い合いになるからである。最近は特に、予備校そして大手塾ともにやっぱり○×大学(高校)に・・・人、それがご父兄にわかりやすいからだと思うが、そのご父兄のムスコムスメが少し努力すれば前述の○×大学(高校)のレヴェルにあればそれもよかろう・と思うが、そこから果てしなく遠い場合でも、そういう集団の末席にくっついてる方が「メリット」だと思うのだろうか。またその成果の競い合いの集団の中では、末席に近づけば近づくほど「蔑視」とそれに伴う「自虐」もあるわけで、そんなことが病むことの一因でもある。ご父兄にアピールしない大学(高校)に何人受かろうが、それこそ業界内ではあんまり意味のない事ではないだろうか。

 そんなものを「教育」の一環の中に入れちゃダメだよ・と思う。塾が教育か産業かで捉え方は変わってくると思うが、産業オンリーではやってられんよ。そして必ずこぼれる人々が出てくる。受験においてもある種のセーフティ・ネットも必要で、しかも、再生可能性はかなり高いのである。なんだかんだ言ってもコドモだし、先が長〜いのであるから。

 だから病ませるような勉強のさせ方は絶対にいけない。高校受験期になるともはや名実共にコドモは親の所有物でもなくなってくる。見栄や世間体が根拠の期待もねえ、される側も大変である。問題なのはそういうことが本人のヤル気を削いじゃう事なのね。当人のヤル気が「自然」に出てくるような状況が望ましいですね。親の側がコドモを相対化できるか・ってことかな、とも思います。しかし、難しいね、これって。愛情とおせっかいは裏表のものだし、おせっかいも一概に悪いとも言い切れないから。

 大学受験は結果も出、すべて終わったが、あと公立高校の後期試験がある。もうひとつの「奇蹟」を起こさないといけないのである。

 大阪の公立は内申の「持ち点」+「入試の点」というのが大まかな合否判定の基本である。ただ、学校毎に、内申の比重が異なる。更にその合計で90%の合格者を決定し、その後の序列で110%までをボーダー・ゾーンという枠に入れる。その20%の半分が最後の合格者となるのだけど、そこでの選考方法が各学校毎に異なる。入試の点だけ・とか、内申だけ・とか、その合計・とか、中には、副教科(美術・音楽・技術家庭・保健体育)の内申の合計なんてとこもある。あと、面接に「見るべきものがあった」とかね。

 そうなるとなかなかブラックボックス化してくるわけである。やや手探り・ということにもなる。

 そこを志望校選定の際に、持ち点をおれに教えずに決めたアホがひとりおって、受ける高校はそんなに一般的には難しい高校ではないが、なんといっても、こやつは12月の五木の模試で英語12点国語6点数学に至っては0点という栄光の持ち主である。それで持ち点があればよかったのだが、それもその学校受けるヤツの平均からも20〜30足りない。だからこやつを受からせるためには、みんなより20〜30点点を多く取らんといかんわけである。あったりまえだ・な話しながら。

 誰しも「無理ぢゃん」と思うだろう。しかし、この1ヶ月。めきめき賢くなって来た。なんだか、脳のニューロンが思い出したみたいに活動を始めて、増殖しながら、お互いと結びついている様子が想像出来るのね。で、「勝負できる」とこまでやってきた。どの教科も五木と同じ換算で行くなら50点・50点・50点な感じなのである。12点・6点・0点が・よ。顔もややきりっとしてきた。生まれて初めて「思索」を正に始めた人間のその瞬間の顔の変化って見た事あるヒトいますか。なかなか興味深いものがあります。

 かように人には個人差があり、最後の最後まで諦めずにやることが大切なのだ・ってことなのね。冷静にね。

 大学受験で最後に残ってたやつも「間に合った・ふー」という感じだった。最後の高校受験もそうであることを願っているし、現場を知らない人にはそれはどちらも「奇跡的」に見えたりするものだった。

 受験・を知らない第三者にはトップ高合格なんてことしか反応出来ないと思うが、それに勝るとも劣らないダイナミズムが、うちの塾にはあったりもする。ジミだけど、しかし、どちらが値打ちがあるかなんてことはおれは知ってるけどあんまり公言しないのね。言っても受けないから。

 でもね、本人と関係者のヨロコビは同等の値打ちなんですよ。
posted by 浪速のCAETANO at 22:25| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック