2009年03月18日

しいちゃん

 こゝろを平静に保ちたいのだけど、なかなかそうもさせてくれない。

 入試終えて、ほっとした途端にファンダンゴ初代店長むーちゃんから電話があり、「しいちゃんのおかあさんが亡くなった」との報を受ける。むーちゃんと待ち合わせて、十三のセレモニー・ホールへ。

 いつかはこんな日が来るのだということはわかっていたが、それ自体はしいちゃんがおれたちの目の前から消えてしまってからもう6年ほど時間が経っているから、そしてしいちゃんより前にいろんな友人の死を経験してしまったから変な耐性ができてしまっていて、だがしかし、しいちゃんが「本当に」いなくなるということは、ファンダンゴの良かった時代がほんとに終わってしまったことを意味もし、そしてそれはもう二度と帰っては来ないということも意味し、おれたちの「あの音楽」というものも、どこか、自分のものであるにもかかわらず、手の届かないところでしかその音はもはや鳴らないという感があり、現実がもうひとつ遠くなったような気もする。

 大きな人だった。ファンダンゴの成り立ちの大部分はしいちゃんというあの人に依るものだと言っても言い過ぎじゃないと思う。あの人がいたからむーちゃんがいれた。だからおれたちもあった。ファンダンゴとしいちゃんは十三の街の両輪で、それはおれたちがミュージシャンだったからなのだが、「やまもと」や「松風」とそのとなりの喫茶店なんかがその脇を固めていたりしたがやはりその中心にはファンダンゴと店のしいちゃんがあ
り、その中を探検してみるならむーちゃんがいて、それを支えるのがしいちゃんだったりした。

 なんだかこゝろが寒くなることが多いのだが、特に21世紀ゼロ年代後半というこの時間帯はあまりにこゝろに刺さることが多過ぎてけっこうもうずたずたである。ボディブローもアッパーカットも面白いようにはいる。足にもキてるし、アタマにもキてる。

 しいちゃんは95才。初めて知った。おかーさん、10才ほど年サバ読んどった。80いくつを70いくつ・なんてそのう・オンナのひとのそこんとこの気持ちわかるようでわかんないとこでもある。マルちゃんのバンド・マルちゃんのバンドとカレンダーに印をつけ、ソンナバナナ時代にはあまりにもわかりやすく「バナナ」を買っておいてくれたり、コンドル2のいいところで必ず、ファンダンゴのドアから登場し、一升瓶をステージに置いてくれた。あるときからそれはおれたちのステージにはなくてはならない「お約束」でもあっ
た。「おれの一番年上の彼女」と公言して憚らなかった。ライヴの日には、焼肉のサイドメニューでポテトサラダを必ず作らせておいてくれた。あれ、いつもあるってわけじゃなかったみたい。登場していただいた拙書「束の間のiyashi」も大事に持ってくれていた。

 じわじわ哀しみが広がってくる。人を亡くすことはその時代が遠ざかることに等しい。あの幸福な時代は二度と戻らない事だけはわかっているのだが、その喪失感たるや、言葉では難しい。幸せ過ぎた・ということかもしれない。

 しかし、死に顔は小さくなってはいたが、「おくりびと」の作業は完璧で、とっても綺麗だった。しいちゃん安らかに。ほんとにごくろうさまでした。TE AMO。
posted by 浪速のCAETANO at 17:05| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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