2006年01月15日

おひさな休日より始めて

 あー、やっと休日がやってきた。ぺろのごはんがなかったので、目覚ましがてらN.E.X.へ。カトちゃんの台でカルく15分ほど打ってぺろのごはん千円分買って帰る。換金してスロットの方を抜けて帰るとき、やってるやつ、目が合うやつ、なんかみんな顔ヤバい。スロットは若いのだらけだがあの様子はなんかほんとヤバい。毎日見るやつもいてやってる様子がヤバい。10万近く勝ってるやつもいる。もちろん合法だから何も文句はないんだが、絶対なんかヤバい。ものすごい殺伐とした心象風景がそいつらの表情から垣間見えて、なんだか話し合いとかができないんじゃないか、っという感じのヤバさ。おれもほぼ毎日目覚ましにパチンコ行ってるが、おれはカトちゃんの台からレレレあるいはシェーだから、つまりハネもの以下からハネものだから、そいつらからしたらものすごい小さいことやってるわけだが、おれなんていても30分だもん。限度。ちょいと目覚ましに行って目覚めりゃもうそれでいいの。ぺろのごはんも買えたし、いたって満足である。

 帰りに出口で元生徒のよっちゃんに合う。途中で大学諦めた口で、よくふらふらしてる。「おー何してんの。ひょっとして、ニート?」「いや、ペンキ屋いってる」なんかスレスレよなあ。スレスレやわ。

 tutorでいろんな家庭に入り込まざるを得ないが子育てとはなんと難しいものよ、と思う。悪戦苦闘とはこのことである。親子の関係とは言わば「格闘技」だな、と実感する。なんだかんだいっても自分が出来もしなかったことを子供に託す母親は後を絶たないなあ、これも実感。対象は決まって男の子である。それを母性というだれもその場では反論できない心情をバックにヒステリックに迫る母親に対して息子たちは無策・でもないんだけど、その反撃はちょっかいぐらいのインパクトにしかならず、それが母性という大きなものを背景に堂々と迫る母にはチョー小賢しい作戦にも見え、多分旦那のオトコらしく無さともダブり、それは火に油を注ぐ結果となることが多い。そんな場に居合わせたときなんて(結構あるんだけど)そら、おっそろしーでー。座ぶとんかぶって隠れたいぐらい。

 しかし、もっと悲惨なのは放られた子供である。世界中に、もちろん日本にもそんな子たちはいる。形のない愛情の押し売りはウザイものだが、愛情のまったくない環境で生きるほど悲惨なものもないなあ。ヒトは抱きしめられることで自分の存在を実感するものだから。それは高度に進化したほ乳類の必然であるという気がする。まあ事情があって抱きしめられない場合もあるけど、それでもヒトはヒトを求めるものだから、ただオスメス間の愛情が絡んでくるとまたまたこれがややこしい。性欲に基づく愛情の上位にあるのが人間愛であることってどんどん精子を製造し続ける元気なきんたま情況ではなかなかわからんことかもしらんなあ。女子のちょっとした記号にコロっとやられてしまうからね。

 そしてみなさん「後悔」するわけだね。
posted by 浪速のCAETANO at 12:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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