2006年01月24日

なんとなく元気なくなること

 時代の寵児というからにはそういうものを受け入れる受け皿みたいなものがないといけなかった。たっぷりあったっちゅーことでした。「金がすべて」という受け皿があって彼は時代の寵児となりえたわけだった。

 でもね、単なるお金持ちが英雄だった時代ってこれまであったのだろうか? 英雄ってそんなものじゃなかろう、多分。

 反動で「汗水垂らして」系の考えの復活や旧い自民党のおっさんらの復活が一番困ったものだなあ。「汗水・・・」のニュアンスって肉体労働のニュアンスなとこがちょっと違うぜ、と言いたい。カラダは仕事のとき、それがなんであれ使うわけよ。コンピューター前のヒトも目とかに負担をかけながらやっとるわけよ。これってカラダ使ってるわけよ。
 「汗水垂らして」系のことを今更言い出すヒトビトは、ずるいことすんな、ってことを言いたいんだな。ただ、ちっちゃいズルいことってあっちこっちに存在してて、それはなんか得した感と結びついてて、それはインセンティヴとも言い換えることも出来る気がして、それはラッキーをなくせと言う言い方にも聞こえ、この感覚はきっとなくならんだろう、やっぱ。労働という感覚は今は30年前とは変わってしまったのだなあ・と詠嘆。

 新時代のイメージリーダーとして小泉くんにまつり上げられた分だけ余計に悪いことしちゃった、という感じがする。拘置所の底冷えは彼に自分の置かれた立場を認識させただろうか?

 それにしても吉川ひなのは生物学上オンナだったのだろうか、やっぱし。

 またまた、鬼のクビとったみたいに騒いでるメディアには傍観者の暴力を感じるけどね。

 新しいことをして成功することにミソつけたライヴドアとヒューザーの罪は重いが、これが階層の確定にプラスに働く材料にならないことを祈るばかりだ。

 
posted by 浪速のCAETANO at 18:22| Comment(1) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
自民党のおっさんにしても、報道という名のエンタテインメント制作者のテレビ局の連中にしても、「オレよりええ目にあってる場合じゃねーぞ」という本音が「堀江容疑者」と声高く叫ぶ得意げな表情からあふれ出ちゃってて、本当にげんなりさせられますよね。

たぶん、本当は自分の方が楽してええ目にあいたい。だから、俺たちがやってるレベルまでなら「おぬしも悪よのぉ。ふぉっふぉ」と許せちゃうけど、おいおい、オレたちに対しての遠慮はないのかよ。しかも、なんだかいいカッコしちゃってない? オレだっていい女抱いて誰にだってため口たたいていいカッコしたいわけよ。それをなんだあ。石原の慎ちゃんが偉そうにすんのは我慢できるけど、おめーはぽっと出だろうがよー。

なんて思ってんでしょうね。結局、それが腹立ってるわけで、正義とかどうでもよさそうなんだもん。

「カネ、カネ言ってた」「コンパしてた」「六本木ヒルズのええ家住んでた」「飛行機買った」とか、そんなことばっかしぎゃーぎゃー言って、よっぽどそれが羨ましかったんだろうなあ。下品さに過剰に反応するやつは自分が下品だからだ、と思いますが、下品で欲にまみれている自分が見え隠れしているワタシには、もうそういうことはわかってんだからいいじゃないの。ほかの話しようよ。そんな風に思います。

今回のライブドア騒動で、ワタシの中では、メディアへの不信感が増大したことが何よりも大きな影響に思えますが、そういうのは、「堀江を持ち上げたメディアにも責任があると思います」ということとは、全く違うことに思えます。「ボクたちは意地でも本音をいわないもんね〜。建前だけでとりつくっちゃうもんね〜」とテレビメディアが明言したことにも、それがもう画面の前ではばれちゃってることに気がつかない。テレビをつけると、そこに流されるのは情報ではなく絶望感。堀江貴文はかつて「メディアを殺す」とか言ってたような気がするけど、本当に殺しちゃいましたね。ていうか、勝手にメディアが自爆テロしちゃったなあ。きつい話です。
Posted by あおやま at 2006年01月24日 22:52
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