2010年02月08日

お燈祭り

 本日A美シェフが旅行中により、急遽おれがシェフである。

 だはは。

 そんな時に限って・・なことって起こるのよね。まあ・それがハプニングということなのだが。そして、そんなこと・好きなのだが。

 一昨日・昨日と熊野へ行ってきた。お燈祭りを毎年見たくて、しかし叶わず、今年しかチャンスないぞ・と思ってやっと行けた。今年からずーっとあったりして。

 R168は降雪からか、断続的な通行止めが行われているみたいだったので、「阪和〜中辺路」というコースで行こうと思った。中津からだと梅田から阪神高速に乗ると近畿道まで、それもかなり南の方まで時間セーヴできる。豊津時代はものすごく大回りしていた。

 阪和道は熊野に行く度に南へ伸びている。つい最近までは海南までだったのになあ。今は白浜までぴゅー・だ。

 昼前に出て、宿に入って、ひとっ風呂浴びて、との目論見は案の定頓挫して、出発は一時なのだったが、雪の舞う中久しぶりの普通の路ぶっ飛ばしは楽しかった。ツインスパークはカルく6000回転まで噴き上がるし、特に雪の舞う中辺路は、醍醐味でした。

 ジャスト4時間のノンストップ・ドライヴの末5時に新宮へ到着。まるで予定通りである。少しやっぱり元気になっていた。街中を流すと、寒い中白装束の老若男子が、集団でうろうろしている。しかし彼らは本日まで食事制限をし、浜で身を清めて、阿須賀神社・速玉大社・妙心寺を巡拝し神倉神社へとこれから向かうとこなのだった、時間帯としては。寒さに縮こまりながらも「やったるで」なニュアンスが伝わる。駅から神倉神社までのルートを確認してから紀伊勝浦へR42を走る。

 2/6の新宮のホテルは取れない。毎年来た人が翌年の2/6の予約をして帰るからなのだった。ということで、まあ土地勘のあるおれは勝浦の宿を取った。まあそれは、「温泉」というオマケつき・というこれも目論みもあったのだが。

 勝浦も隣の街・湯川同様「いい湯」として知られている。おれは勝浦は民宿しか泊まったことがなく、しかし、今回はお燈祭りが終わって冷えたカラダをなんとかしたいと思っていたわけで、となると、民宿が大抵、はいお風呂は10時までね・というパターンだらけなのであって、それでは困る。だから湯自慢の宿・にしたわけだった。それは「一の滝」という宿で、食事も要らないし、「風呂」「寝る」だけで2人でジャスト1万円というリーズナブルである。

 で、祭り前にひとっ風呂・というかねてからの予定は実行に移されるのだけど、あのね、一の滝のお湯は「もうっさいっこー」にいいよ。おれは「あちちあちち」ってのが苦手で、まあ「ネコ肌」と言うてますけど、断然「ぬるめ」の湯に寝るぐらい入る・というのが温泉の醍醐味である・と思っている派で、一の滝はやや温かめ・とごくぬるめ・というすばらしいコンビネーションの湯がある。このごくぬるめ・がヤバい。もちろんこっち・次そっち・またこっち・今度はそっち・いやも一回こっち・最後にそっち・ていうかこっちも・じゃもひとつそっち・・とばかの入浴は延々続くのだけど、今回のメインは「お燈祭り」であるから、またこれから新宮まで戻んなきゃいかんのだ。こうはしてられない。

 で、着替えまして、電車で行くのね。途中でワインとお惣菜というかアテというかねそんなのをスーパーで買い、絶対寒いと思うのでそんなものを口に入れながら見てやろうと言う魂胆だった。

 新宮に着いたのが7時ぐらいで、火が着くのが7;30ぐらい、30分ほど燻されて、降りてくるのが8時ぐらいということだから、なるべく神倉神社の階段近くまで行ってみる。人はどんどん増えてくる。降りてくる階段のワンブロック手前に陣取ってワインを飲みカラダをあっためつつ、灯りのついた中空を見上げる。

 その火は宮司が火打石により斎火(いみび・という)を作り、神殿を開け、大松明・かがり御供・お神酒を供えて宮司が祝詞を詠む。大松明に灯が点ったみたいだった。

 急に大きな明かりが見え、それを目指して上り子たちが歓声と言うか奇声と言うか怒号と言うかそんな声を出しながら山上へ上っていく。その声は下まで届き、間違いなくあちこちで喧嘩が頻発している様子が想像出来る。

 そのうちに火の範囲が広がり出す。上り子の松明に火が移されていってるということなのだが、そのうちすべての上り子の松明が点火されると介錯が山上の鳥居の扉が閉められる。さあ、ここからが大変である。火を手に持って満員電車のような人口密度で火と煙によって燻されるわけだから、呼吸困難と熱さとやりきれなさに約20分ほど上り子たちは苛まれることになる。

 下まで聞こえてくる声は完全にもはや「怒号」。「うおおおおおおおおお」である。

 そしてそのストレスがピークに達した頃(8時前)に扉が開けられる。で堰をきって、上り子たちが下り始めるのだが、階段はかなり危険な階段である。熊野古道のような階段である。それでも一等賞がいる。きりっとしたワカモノだった。

 そんな競争にイノチを賭けるワカモノたちもいれば、そうでない人々もいて、全員で数百人の人々が降りてくるその様子は「滝」のようにも「蛇」のようにも見え、幻想的である。しかし、降りてきた人々の白装束は煤や血や火の跡さえもあって、「あの、服燃えたんヤバかったなあ」などの会話も上り子たちの間で交わされていた。完璧に今痛めたようなびっこ引いてるワカモノもいて、壮絶なものがあるってことね。

 若い父親と小さな子供(男の子)も多く、あるいは近所のツレの若年から壮年まで、とか何かいろんな参加がある。家族や彼女に連れ添われて見物人たちの間を帰っていく。これから非常な充実感を伴って、いい酒を飲むのだろう。

 意外とあっさりしていた。すごく個人的だった。秋祭りとかではないし・かなと思った。ただ、あの20分間の凝縮と爆発は「中上さんの小説」を違和感なく連想させた。この祭りの体感は彼の文章に刻み込まれてるな、当然のことだった。

 勝浦へと帰る電車の中で隣り合ったワカモノが松明の燃えさしを持っていて話しかける。明治大の2年生で「なんで来たの」と訊けば「中上健次の・・・」という。神倉神社と熊野三社の縁起もちゃんと知っていて、感心した。熊野大学は・と訊けば「柄谷さんもう来なくなったから」とまで言っていた。「いとうせいこうじゃなあ」とは意見が合った。

 勝浦に戻り久しぶりの「いろは寿司」で打ち上げ、競歩で一の滝へ戻り、お湯の時間延長をお願いして、ざぶん・するのだった。そのまま眠ってしまいたかった。


 熊野にコヨーテはおりません。
posted by 浪速のCAETANO at 16:55| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 熊野大権現 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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