2010年03月05日

詞を書く

 もわー・とあったかい。でも明日からまた寒いそうだ。寒いと言ってもこの時期の寒気にウォッカ一気のみの根性はない。ヒートテックでプロテクションOKだろう。

 カオルちゃん(カオリーニョ藤原)のソロアルバム用の歌詞を書いていた。まあ喜んでいただいてこちらも嬉しいのだが、やや難産だった。日本語を前提としたメロディーってそんなにリズムが複雑ではない。演歌にせよ、JPOPにせよ、細かくても8分のウラぐらいまでで、そんなのに日本語を当てはめてお話を作るぐらいはお茶の子さいさい・さのよいよい・なのだが、カオルちゃんの持ってきたメロディーは、おれたちにはよくあることなのだけど、16分のウラでメロディーゆらゆら、つまり作曲の時と作詞の時はお互いのことを全然考えない・ことがあったり前で、そういった思いやりのなさが真摯な姿勢なのであって、これはオノレが詩・曲両方作る時も全く同じ。

 さらに今回は作曲者からの「括り」があり、それは「40代オトコと30代オンナの、不倫ではないかな・ないな・いや・それでもええな・いやどうかな・まあええわ・どっちにせよ(!!)、まあ恋愛というものはこうありたいものやな・みたいな」「なんかな、もの倦げな気分やねん・でも僅かながら希望もあんねん・みたいな」と言い残してアールグレイを飲み干して帰っていったカオリーニョ藤原というおっちゃんがおって、なんかわかったようなわからんような、「ほうほう・うーん・まあまあ」など曖昧におれもお茶を濁していたのだが、「納期」が近づくにつれ、期末テストがあって実はしばらく忘れとったのだけど、突然メールがカオルちゃんから来て、「4日に行きます〜」とそこにはあり、おれも3日に試験が終わったとこだったから、やや・というかかなりアセったわけだった。

 で、スローなブラジリアン・ボレーロでいーっぱい音が詰まった中で歌詞を考えながらその音たちを括り・仕分けし・再構成していくわけだけれども、オリジナルのメロディーのニュアンスは極力残し、しかし、話を始め、話は跳び、エキセントリックな言葉の並びをサビに持ち込んで、それでも歌としての整合性を保ちつつ、これはポップスなのだがポップスにあらずという際際のとこで収める。

 で、自分で歌ったものをPRO TOOLSに吹き込んで、それをCDに焼いて作曲者に渡す。

 で、ウケの問題は置いといて、ヴォーカリストとしてはおれはカオルちゃんに一日の長があるので、その歌はプロトタイプであると同時にテキストでもある・ということになる。そんな過程を経て、ひとつの曲が「共有」されていくわけである。だから、「手品師の帽子」でも、変なセクショナリズムに陥った、主にカオリーニョシンパのアタマ悪いのが、手品師の帽子って「曲は」カオリーニョで詩はマルタニさんと、詩はマルタニさん部分をものすごく早口で言ったりしてるのにたまにカチンとクルことがあるけど、そんなものはやなあ、お前ら如きのぺーぺーに言われたないのよ。「共有」なのよ「共有」。おれはカオルちゃんがそれらの曲を「おれの曲」ということに100%異論はないし、それらの曲をおれが「おれの歌」ということにカオルちゃんも100%異論はないわけよ。一粒で二度おいしいの。

 だからね。いい作業を終わった後はいい気分なわけよ。見事に作曲者・作詞者ともにカネがないが、これがさ。世の中なんか間違っとるでしょう。しかし、今度のカオリーニョ・ソロはいいと思う。カオルちゃんの他の曲もかなりいい。「時代に逆行」や「リズムの申し子」。ならでは・のラインナップになるはずです。トドムンドの投げ銭時にもだいぶ受けてたもん。おれはウケた。

 間違っとると言えば、5才の息子を餓死させたおかんの「ダンナに似てるからその子が嫌いだった」という発言。日本人のあかんとこのすべてがこの一言に「凝縮」されていると思います。「救い」がない。なさすぎる。

 カンケーないがトドムンドのひとたち・ほんとに「英語」勉強してな。それって「交通安全」てタトゥー入れちゃったアホのガイジンといっしょやで。


 ARE WE not MEN?
posted by 浪速のCAETANO at 11:58| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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