2006年03月16日

WBCよりはじめて 2

 いやー日本のWBCは終わっちゃったが、久しぶりに野球をしっかり見た。そして、面白かった。高校球児のような状況に戻れてプレイヤーたちも新鮮だったはずだ。

 韓国はそのナショナリズムにおいて、なんかものすごい求心力を持っていて、それは2002のW杯の時と同様の手のつけられなさを感じる。キムチ・パワーってすごい。いや恐れ入る。

 昨日の話と関係するが、野球は「パンパシフィック」なスポーツだから、また韓国のそのナショナリスティックなパワーはアメリカではコリアンタウンの存在等でファミリアリティーがあり、発揮しやすいみたいだ。これが現場がヨーロッパになるといささかきびしいものがある・と感じたけど。

 しかし、均衡してる。各国の強さ。アメリカ「が」メジャーではなく、アメリカ「に」メジャーがあるということがわかるね。そういう意味でイチローの最後の「FUCK!!!」の意味がわかる。イチローは「自分がすごいことをしてることは分かった上で、その「差」に関しても実はわかっていた」のだなということだ。「差」は確かにあるがそれは「差」というより、「違い」に近いのかも、なんてことをわかってたから、勝機あり、と思ってたんだね。「それがわからん松井の鈍感!!」ぐらいは思ってただろう、本音では。

 しかし、野球を久しぶりに見てて「武道」のようだった。次の瞬間に必ず何かが起こるわけだからね、野球って。必ず何かが起こる。そしてその直前に実質的沈黙がある。「武道」でしょ。間合い・とか、緊張・緩和とか、静と動とか、すべて意味がある。ストーリーだね。サッカーと違うとこはそこだなぁ。何が起こるかわからない。目が一瞬たりとも離せない。プレイヤーの意思がさまざまな種類の結果を生み出す可能性を持ち、そしてサッカーの場合、そのほとんどは「うまくいかない」

 この2つのスポーツはまるで違う何かと何かだった。そんなことわかっとるわ・と思ってるヒトビトいらっしゃると思うけど、そのスピード感という点では野球はやっぱり「おっさん」のためのスポーツだ。貶めているわけではなくて、店の客のフミちゃんというおっさんが「相撲の間合い」が休日の、ワインを飲みながらの料理にぴったり・なんてことを言ってたが、「ふーん」と思いながら聞いてたが、さらに間合いが長〜いわけでしょ、相撲となると。ヒトは年を取る=成熟するとタメに美学を感じることができるっちゅーことかな。
B0000ZP564.09._SCTHUMBZZZ_.jpgB000002JKY.01._SCTHUMBZZZ_.jpgB0009OLPF6.09._SCTHUMBZZZ_.jpg大御所のミナサマ
 タメということなら、それは精神的にも肉体的にもよくわかる。それは優れた歌い手のコブシにも通じる「感情の制御」による美の表現だ。オーティス・レディング、カエターノ・ヴェローゾ、アマリア・ロドリゲス、ハレス・アレクシーヴ、美空ひばり、ファイルースと大御所ばかり並べてみたが、この方々ってその「感情の制御」が「技術」を伴い、しかも「技術」の側には流れないという希有な歌い手ばかりであるが、シンプルなドラムのビートだってHI-SOUNDのホッジス氏のような、もうそのタメだけで乗っちゃうような、なかなかプラクマティストには「?」なびみょーな技術だってあるのだ。やっぱ、それは精神のおっさん化といいますか、成熟とは100%イコールではないものの、優れた技術を一般人はその成熟と共に身につけていくが、そーいった天才肌のヒトビトは、最初からできちゃう・ということかもね。オーティスなんて27で死んでるわけだしね。

 あの龍之介というチビッコの天才ギタリストなんて、もう既にギターという楽器を「有機的」にわかってるしね。ふつうのヒトは「年」とともにわかっていくところを。そうかと思えばおっさん通り越しておじいさんになってるキタバヤシ・ジュンなどはいまだに「タマらず」ごっつい「ハシル」しね。素養である。

 しかし、一般的にはおっさん化するっちゅーことは必然的に「タメなきゃ・タメ」っちゅーこと・かね? やっぱし?

 

 
posted by 浪速のCAETANO at 15:53| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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