本日は街道をゆく・の熊野・古座編だった。これまたみなさんご存知のように中辺路・大辺路・小辺路・伊勢路と詣で路はあるのだが、中辺路ではなく大辺路で行こうと思ったが、波しぶきが大変で参った・場合にちょいと駆け込むのが古座街道なのだった。
白浜から下り、朝来で迷う。左折で中辺路・直行で大辺路なのであるが、その後に訪れる天候の変化が前述の「参った」という情況である。日置川を越え、周参見から左折して路は上っていて、七川ダムに達する。一時間もかからない。そこから南へ折れるとR371である。このR371という路はなかなかのもので、山走り・峠走りという意味だけど、北は龍神・高野・橋本まで続く路で橋本から高野山に詣で、高野龍神スカイラインをぶっ飛ばして龍神温泉につかり、そこから南下し標高も下り、そういうエキサイティングなドライヴの後に、なんぢゃ・これ、な路が出現し、先ほどのすーいすいなドライヴは一転「修行ですか?」な路となる。15年ほど前にシトロエンBXGTiで走ったときは車内がドリフだった。室内灯は落ちてくるし、ダッシュ・ボードは閉めても閉めてもぱっかんぱっかん開いた。BXがアホだった・ということもあるが、ほらそのシートのすばらしさゆえにドライヴァー本人はさほどその惨状は感じないのね。しかし、本体のどったんばったんがかなりのもので、しかもBXは車体が「水に浮いている」から「運転しているワタシ」はこれくらいの凸凹どやねん・なのだが、車内はやはり「建て付け」が弛んでるわけで、まあそんなボロフランス車のそこんとこ・かわいいわけだけど、なんにせよ、一番弱ってるとこを責めるのがプロレスの定石なわけで、へへ、で車内はドリフ・というわけだった。おもしろかった。
そんな古座街道を走り切ると本州最南端・串本へとでる。大辺路の波ざっぱーんとどっちがより幸福だったのかはこうなるとよくわからない。
神武東征神話の時代から熊野はよく史書に登場する。神武東征のようなもの・がほんとだとして、それが3世紀〜4世紀の中国史書に載っていなかった時期だとすると、先に河内あるいは大和で勢力を誇っていた「先の王」を南から攻め滅ぼした際には熊野という土地の存在は大きい。ただ、熊野の1800m級の山々、そして吉野を越えるのはなかなか大変な道のりだなあ・と思う。八咫烏は人間の「擬鳥化」だと思われるが、そんな役割の人間がいないことにはまず無理だろう。
熊野に詣でることは、上皇たちの辿った道筋をトレースすると同時に、その神武東征のようなもの・のルートを逆行していくようなものでもある。
そんなことを思うと、明日香周辺に都を構えた時期なんてのはもうすでにかなりモダンな時代に思えるほど、神武東征のようなもの・の頃はプリミティヴな野望がギラギラしている。
おもしろいね。おれだけ?
プリミティヴだが(だから)素敵なもの。「突然女の子たちのお○んこ疼く〜」という内容です。
プリミティヴ・モダン仕様。