2010年07月16日

アタマ・イんでしまう季節に向けて

 梅雨は大阪は明けたはずだ。夏の間、日本は「思考停止」となる。大体思考停止傾向の人たちだが、この亜熱帯化はさらに思考の初動を遅らす。始動したとしても、そこから「展開」するには空気がアツ過ぎる。だから人は「ぱー」になるのだが、おれも人のことは言えんので、本格的ぱー・となる前に考えておきたいことがある。

 みなさん、選挙行きましたか? おれは行きませんでした。というか手違いか何かで選挙用紙が来なかった。だから不可抗力で行けなかったのだけど、今回は行く気がしなかった。何故か?

 民主党・自民党ともに「消費税率UP」を謳っていたことがひとつ。この二党の中では選択の余地がない。

 そしてもう一つ。今・政治に参加(投票)して、失望することは「ビョーキ」になる気がして、距離を置いた。

 失望が最初からわかってる選挙だった。そして、予想通りの結果になった。それは民主党が負けた・ということではなく、そんなことは最初からわかっていて、そうではなく、新自由主義から距離を置くマイナー政党がさらにミクロ化・ナノ化するはずだと思っていたからだ。マイナー政党とは自民の崩壊から生まれた「たちあがれ」とかマスゾエとかの政党ではないよ。あれは間違いなく自民と民主右派の亜流で、そっちじゃなく、おれが言うのは国民新党・社民党・共産党の三党のことだ。与党にならなくともそちらの相対的地位が上がらないことには、この国は「新自由主義へ一直線」となる。今回の選挙で何がはっきりしてしまったか・というと、選択肢は民主と自民の間にしかないということだった。地方で一人区で自民が勝ったのも去年の衆院選の振り子が逆に揺れただけのこと。

 「ほんとにアンタも好きねえ」と思うのだ。日本人のことですけど、一色に染まるのが「好きねえ」ということ。多様化なんてのは言葉だけの話で「全体主義」なのね、結局は。新自由主義をここまで進化させておいてからの全体主義ってのはきついです。

 国民新党には、その主要な政策である財政出動はかつての自民党である的なレッテルが貼られ、しかし、現在の供給が多過ぎて需要が少ないという受給ギャップ・ここんとこが原因でデフレになってる。

 もっと簡単に言うと、メシ喰いに行こうという人が少なく、お店だけが多いとなると、お店は値段下げなきゃいかんでしょ。これが日本のデフレの現状なので。メシ喰いに行こうという人が増えてお店の数より多くなればお店も強気になれる。それで値段をもとに戻せる。

 メシ喰いに行こうという人にお金を与える・と言っても国民給付金だっけ、あんなショボイ額ではダメで一人100万ぐらいの給付をするわけよ。100兆円要る。アホか・と思われるかもしれないが、年間予算が一年分さらに赤字になるだけであって、そもそも自力で回復しそうにない経済を回すには一か八かやってみたらいいのにと思う。そんなぐらいのカンフル剤が要る。

 その100万円で救われる人は大変多いと思う。人心も安定する。そのかわり、みなさんがんばってやりましょう。ワタシたちも頑張ります・と政府は宣言をする。オバマぐらいの演説を「管ちゃん」がする。無理かもしれないけど。そんなもの意味がないと多くの人は言うだろう。そんなことしても無駄遣いするだけだ・と。しかしね、その無駄遣いで経済は廻るのよ。今は全然廻らない。あのさ、初動が最もパワーが要るのよね。廻り出したら後は慣性が進めてくれる。あのさ、日本は世界の実験場なのだから、このままシュリンクしていくくらいなら、ケインズにもう一度賭けてみるのもいいのでは。そんなことをもっともやってくれそうな国民新党には票入らず。

 小泉が出てきてから「自民党」は旧い・の代名詞化したけど、それは自民党内の「新自由主義・アメリカ盲従主義者」たちの口車に乗せられただけで、昔の自民党はなかなかうまくやっていた。100兆円ぐらいアメリカ国債売り払えばぜんぜんなんとかなる。お金返してもらおうよ。

 社民・共産には「社会主義」ってのが「選択の対象」から外されて行ってるという現実がある。でも間違っちゃいかんのは、この日本でスターリンや毛沢東の社会主義が成り立つわけないのだ。おれたちはアメリカの現状を「そうかそうか・ひどいよね」と眺めてるうちに自分たちもそうなってしまった「マヌケ」である。

 だから資本主義はいいのだけどその枠内で「社会主義的」な政策を取り入れないことには、経済格差はさらに広がってしまう。メディアは社会主義をそれこそスターリンや金正日に重ね合わせて、そこんとこみんなに「現実的」には考えさせないように考えさせないようにしているが、ヨーロッパの伝統国はそんなミクスチュアで政策を成り立たせている。最近のギリシアやらの破綻も元はと言えばリーマンである。アメリカの中のボケがいらんことするから、つまり新自由主義者の大失敗がその原因である。この時代に「平等」を志向することが「何が悪い」。そのバランスが大切なわけで、かつての日本は「社会主義」みたいな国だったのだからね。みんな知らんだけである。60年代・70年代ね。もっとも幸せな時代である。高度経済成長の時代。

 遠い眼をしてみなさん振り返る・と思うが、「高度経済成長」さえも実は「可能」だったりする。今現在の中国の成長は年8%ぐらいだが、みなさん驚かないで、そのうちの7%は「公共投資」なんだよ。国がお金を出してるって意味よ。だから高度経済成長とは「可能」なのね。国が需給ギャップを解消するために必要な道路(まだたくさんある)を造るわけよ・たとえば。仕事があれば経済は必ず廻る。廻れば税収もアップする。今の国は店の掃除もせず、仕入れも抑えて、そのくせ「売り上げ上がらんなー」と言ってるバカ店主・とおなじである。仕分け人を英雄視してるだけではその効果も含めてどちらもショボい。

 日本人はもうバカメディアにほんとにヤラレてしまってるから、そしてなかなかそこから脱皮できないけど、アタマ・イんでる「非論理的」なこの夏の間に「夢」みたいなことなら考えられるかもしらんなあ・とか思ったりしてる。旗色は確かに悪いんだけどね。アホならではの考えは一回りするとカシコイ・かもしれない。
 

 うー・面白い。
posted by 浪速のCAETANO at 13:24| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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