2010年08月15日

お盆・敗戦記念日に

 朝の番組で「玉音放送」をフル・コーラス聞く。サビの部分「堪え難きを   堪え、忍び敵を忍び」しか知らんでしょう。堪え・の前ブレイク入るのよね。それが昭和天皇のその時の何かの気持ちを表しているかどうかは知らない。

 昨夜・店へ行く前に「日韓」の番組を見ていた。今年は韓国併合100年・ということだから去年から今年をターゲットに「半島と日本」というテーマの番組が多かった。概してどれも良い出来だったと思う。NHKはそういうときはいい仕事をする。ワカモノ向けの番組は「死んだらいいのに」ながら。

 お盆。いろんなところに「死者」が帰ってきているのだろう。このお盆、仏教行事のような気がするが、先祖供養という事から考えると、それだけではないみたいである。やっぱりそこには神道の意味がある。まあ日本人得意の習合の成せるワザだろう。穏やかな気持ちになれておれは好きです。

 夏もこの時期になると「終わりの始まり」みたいな予感でやや切なさに包まれる事も多い。それは「無常観」と通底すると思われるが、自分で自分を分析するのはあまり好きではないので放っている。日本人はデカルトせんでもええよ。

 昨日の日韓の番組でも見てて思うのだけど、西洋諸国の相似形として東洋を見てしまうのはやや違うなと思う。東アジアも結局おれたちの実体験した時期の方が「特殊」だったのであって、その力関係は「古代のそれ」へと収斂して行くのだろう。それがいいと思う。1億三千万・と5千万・と13億ではやっぱり最終的なパワー量が違う。日本・韓国・中国の人口だけどね。それに日本はいち早く脱亜したつもりだったが、欧米の考え方自体の継続性が問われる時代だ。極論だが、「人権」は重視されるべきではないのかもしれない・ほどに思えるときさえある。

 科学者たちの「信頼の置ける予想」として人類の歴史は続いたとしても今後「数千年」であるとする説がある。おれはもっと短いような気がしている。人類が人間として生きる事が出来ないようになった時、ただサヴァイヴァルしているからというだけでは意味がない気がするからだ。でもそれは、このように考えると冷静になれる。

 地球の歴史は46億年とされているが、では地球の寿命は・と言いますと120億年ほどある。もちろん最終盤には生物の住める環境ではなくなる。その頃には太陽に呑み込まれるだろうが、例えば2億年とかのレヴェルでもいいが、当然人類はそこにはいない。地球の陸地はまた「パンゲア」のような巨大大陸に収斂し、もう一度造山活動によって別のチョモランマやキリマンジャロができている。太陽は1.1倍ほどに膨らみ、月は0.9倍ほどに見えるだろう。月は少しずつ地球から離れて行ってるのだ。

 月は空気がないので「風化」がなく、ひょっとしたなら、人類の痕跡がそこで見つかるかもしれない。基地の跡とか墜落した宇宙船とか。それって見つけられないと寂しいけどね。

 しかし、地球は時に環境的に厳しくはなるものの、歴代、生物を生み・育んできたという実績がある。つまり、「次の」知的生命体が登場する確率が極めて高いという事が出来る。過去を見ても、ヴェロキラプトルなんて二足歩行していたし、集団で狩りをしていたし、巨大隕石の衝突さえなけりゃそのまま進化して「爬虫類型ヒューマノイド」になっていた可能性がある。コンピューターを触るラプトル、これが現実の姿になった可能性は高いと思う。

 おれたちが恐竜を発掘したように誰かから「発掘/発見」されるわけだね。そしてそういう繰り返しが十回ほど繰り返される可能性もある・と見てる。人類を進化の最終地点とする味方は「傲慢」と言えるだろう。よくほら地球の時間を時計で表して、人類が登場したのは11:59:59ぐらいでした・という喩えあるよね。その考え方に異を唱える人たちもおりまして、それは地球の寿命全体を12時間にしようよってことなのね。そうなると今は4時台ということになる。まだ地球は半分も「生きていない」。そして人類の歴史は千分の一秒ほどにしかならない。だからそんな生き物に「本格的知性」を期待できないかもしらんでしょう。たしかに世の中には頭のいい人いらっしゃるが、しかし、その生きるタイム・スケールに限界がある限り、その普遍性にも自ずと限界があるって気がします。例えば、それはおれたちが飛鳥時代を見て、そこにある種の「限界」みたいなものを感じる事と似てるかな・似てないかな、どっちかな。

 もう急速にある方向へと「加速度」ついて走り出した人類が行き着く先はどこなのだ・と考えるが、今すぐではないにせよ「悲劇」が待っている事は間違いない。そりゃ絶滅するんだからしょうがないんだけど、できればモルヒネ打ちながらの終焉なんてのが望ましいよね。何世代か先の話ですが。

 今は「意外なことに」氷河期の中の「間氷期」でバカの金の亡者たちが温暖化がどーとか言っ
てますけど、地球はまたいずれ「スノー・ボール」になる。この1万年ほどがやっぱり「温暖」で恵まれていたんだよね。だから農業が可能になった。

 巨大な視野からモノゴトを見ると、これまでの生物の歴史は地球の一ページということがよくわかり、それだからかえって、人類や生物、もっと身近なところでは家族・祖先、知り合った人々・イヌやネコ、そこらへん歩いててすれ違った人々を見る目もちょいと「潤む」ってもんである。

 フラミンゴで「ゆる〜い」ライヴが本日あります。一部25日のための公開リハともいえますが、「体感温度マイナス3℃ライヴ」でもあります。ヒマで狂いそうな方・体温下げに来ませんか。
posted by 浪速のCAETANO at 15:06| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | TODO O MUNDO | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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