基本・共同作業がなかなか出来ないタチで、一人で何でもやる方がトラブルも少なく、また逃げ場もないから他人に甘える事もなく、完結するのだけど、こと音楽に関していうと「一人の音楽」と「誰かと演る音楽」というのがあって、それぞれそれらは「ジャンル」なのだが、振り子の振れ幅でもある。
他人と演る場合に例えばカオルちゃんは「誘われる」側だがおれは「誘う」側で、だからプロデュースなのだけど、それが演奏する人たちの刺激にならない事には意味がない。なってることを願ってます。
ところで「南部を目指せ」とは何なのだ。
この異常な都市の熱のことを体感した後では潮岬やあるいは沖縄の最高気温を知って愕然とするわけよね。30℃なんだからね。大阪は36・37℃ということを考えると「南部を目指せ」=「涼みにいこう」なんてことにもなりかねないのだがそうではないのね。
南が北に誇れる事と言えば何でしょう。実はやっぱりそれが「熱」である。そして開放性(解放性)であったりする。暑くて開放的ならば、仕事する気には普通ならんよね。
そこでいくつかのイメージが湧いてくる。ルイジアナのBAYOU(湿地帯)に建つコテージのテラスにビール片手に、あるいは島のビーチ・デッキチェアに寝転びビール片手、あるいはリズムと歌と踊りを含む宗教儀式をツーリストの目でビール片手に、そんないくつかのイメージ。
つい最近破れてしまった恋に対する感傷・過去の若かった時代の出来事に対する後悔と諦観・馴染みのない文化を目の当たりにして最初は驚きそして次第に引き込まれて行く、そんな心象風景を伴いながら。
南には本質的な「豊かさ」がある。しかし、皮肉な事に「南北問題」という言葉が示している事は近代の経済システムと帝国主義が、豊かであるが故に南の財産を、それより上位にあるシステムによって搾取する構造を作り上げてしまった。産業革命をいち早く成し遂げたイギリスが繁栄出来たのも「インド」「中国」という南の国の豊かな資源があったからだ。そのシステムはあからさまに先の1945年まで続き、そしてその構造は大きく変化する事無く現在まで続いている。
「ヤル」「ヤラレル」でいうならヤラレル側である。困ったものなのだけど、ヤル側の論理がもうこの21世紀には通用しなくなってきてることに注目すべきです。そして「ヤラレル」側の人たちだけしかいなかったのならば、今のこんな「惨状」はなかったということも押さえておく必要もあります。(つづく)
コンパとズークの雄の合体。