2006年04月19日

春に悩んだりしてみる

 なんとなく、周囲で・あちこちで「新しいこと」が始まってる。このようにヒトはページをめくっていくわけね・というサンプルが周囲に・あちこちにある。フェイズが変わるということだ。

 新鮮・という概念は少なくともヒトをテンポラリィに復活させる。運がよけりゃ日経平均TOPIXのように上昇基調を形成し、さらに運がよけりゃ原油価格のように「そこまで上がって・まだ上がる?」というような青天井状態にもなり得る。

 ただ難しいのは、業種・環境に区切りがない場合もあることだ。体調もあったりする。春になったから、急に元気になんてのは「春馬鹿」な自分ぐらいかもしらん。花粉飛んだり、ぴりっとしない空気がどーも、ってヒトもいるでしょう。個人の問題ならば対策を考えるのはまだ簡単だ。気晴らしだ。コストもさほどかからない。問題なのは「集団・組織」の場合よね。気晴らしするにも大変だ・いろいろと。

 すでに「ダークなサイクル」が出来上がっている可能性が高いからだ。まずモラルが激しく低下している。ヒトにおいては「自律による自立」がもっとも難しく・ある意味人生の目的なんてそれ・だけといってもいいぐらいの・それさえできれば、その結果なんていくらでもついてくるし、なんだってできる・というほどのキー・ポイントなのだが、それも個人のレヴェルのことであるなら、まだ治療可能と思えるが、「組織・集団」の場合、誰かが上げても誰かが下げる、上げることがスタンド・プレーに見える、朱に染まれば赤くなる、そして日々の業務は「ダークなサイクルによるルーティン」となる。

 トヨタの労働管理の素晴らしさと残酷さの合い混じったようなものでしか、「組織・集団」の成果をあげることは出来ないのであるなら、ヒトはヒトではないと思う。そんなものはロボットと動物の中間種のようなもので、西洋の近代に生きた知識人ならそこに人権という感覚は見いだせなかったかもしれない。今のはちょっと過剰かも知らんが、それは並以下のニンゲンを並以上の成果を上げる歯車にするシステムである。わかりやすいところでいうなら、コンビニやチェーン居酒屋のマニュアルのずっと高度になったものである。合理性とはより大きな組織の利益に収束していくものであるから、その合理性に恩恵を受けるものだけが人権の所在とも言うことが出来、やっぱ現場のヒトはロボットと動物の中間種になっちゃう。

tn_q_004.jpg「わかってる・けど教えない」

 ムダはあってもいいし、そのムダが、関係者全員の利益になるようなコペルニクス的展開、そんなものを理想とするには現代は世知辛すぎるのだろうか? 被管理とかとは異なるもっとスポンティニアスな意識がもたらす「楽しい働き方」っちゅーのはないのか。それは「紙一重」かもしれないが、それによってみんなが生き生きと笑って働けるような「サイクル」の起源になるような何か。
あるはずなんだけどなあ。
posted by 浪速のCAETANO at 13:43| Comment(0) | TrackBack(0) | ダメダメ社長の日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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