2010年12月27日

年末

 講習はあるが店が年内最後の休みで気楽だ。

 昨日はわがまま娘が「M-1」を見るのが恒例行事となっているから、一時間塾を早くしてくれというからそうする。すると5時に終わって、「鍋でもしようか」という気になる。

 鍋の材料はほぼ常備してあって、別に何かマストアイテムが一つ足りないから「もはやこれはおれの鍋ではない」などとは最近は言わない。もう全く言わないわけで、昨日も「魚」がなかったのだが、そこは「鯖缶」にて代用する。鯖缶はなかなか「ヤル」とおれは思う。三杯酢で和えてもうまいし。

 そんなお気楽一人鍋・あるときは二人鍋をほとんどこれでやってきた・という電気鍋(テレホンショッピングでよくやってるあれ)が、電源入れても作動せず、材料も用意して「鍋のくち」のおれは途方に暮れたのだが、「ちょ・待てよ」とガス携帯コンロの存在を思い出し、カセットガスを振ってみると・残量が心もとない。で、コンビニへ急ぎ、カセットガスを保険で買い、普通のコンロで鍋をし、そしてこっちもってきて、その心もとない残りのガス使用で鍋敢行だった。その鍋はフライパンで代用。そのフライパンは中津商店街のちょっとアタマおかしいと思える荒物屋(だってね・まあまあいいフライパンとティッシュ5箱が同価格だってんだからね)で買ったやや深くやや狭く・な鍋にぴったりな仕様になっていたわけで。

 その後、店長に頼んだ「競馬」の結果等に思いを馳せ、「万馬券」への道とはいかなるものかなど考えていたら、そのM-1が始まってしまったので見てしまった。

 しかし、決勝といっても4位以下の人たちってぜんぜんおもしろくないよね。もはや、お笑いの時代ではない・という思いを強くする。そんな場合じゃないのよ。これがねえ、現実に戦争になっても同じようなことができるなら認めてあげたいが、そんなラディカルな根性もってるようなやつはほとんどいなかった・と感じる。

 笑い飯の芸風・なんか既視感があるなと思っていたら、思いついた。おれは「のりお」に似てると思う。「過剰さが狂気と一瞬クロスするところ」が。

 それから「坂の上の雲」の第9回も録ってたのを見てしまう。

 「龍馬」もそうなのだけれど、特に近代の形成に携わった人々の話を今見るのがなんか辛くないですか?

 龍馬は最後殺され、秋山兄弟もそしてその周辺にいた人々もさまざまな試行錯誤をした結果・・・・・・・・・・・・・・「今のおれたちがある」そしてその社会はこんなに良い社会になった。ここんとこの結論がないと、おれはそんなドラマ自体が現在「機能」しない・と思うから。

 それが多分、バブルの頃まではそんな過去の人々の偉業を讃えることの出来る精神がまだ社会を覆っていたと思うのだけど、結局今・というと、そんな先達の遺産を食いつぶしたあげく借金まで作って「沈没」しようとしている国家に棲むニンゲンとしては、なかなか見るのが辛いわけである。

 司馬さんもなくなる前、そんなことを危惧していたと記憶する。

 なんだか最近は近代史をモチーフにしたものを見たり読んだりってのがつらい・そんな気がしている。

 それが読み物・見て楽しむものとして成立するためには、日本の近代がとりあえずも成り立っていることが条件ではないのだろうか。

 こないだ中国人・韓国人たちに「何か歌ってやー」という話になったとき「チミらはあまりに世界を知らんと思うが、これらがチミらがもうすぐ無視できず、そして消費もすることになる国の歌である」といってブラジル歌謡を歌ったのだが、興味がありそでうっふん・なさそでうっふんぐらいの感じだったけど、明らかに世界のヘゲモニーの行方が混沌としている21世紀初頭ではある。

 今・ふと思うが、やっぱり第二次大戦のダメージはPTSDのようにわれわれ日本人を捕らえている。アホのワカモノもそれは形は違えど同様ではないのかな。「アメリカ」ばっかし見てるなんてのも、おれがアメリカが大っ嫌いってのと表現は逆だが、その元になった事柄は同じこと・のような気がした。たとえ、日本がアメリカと戦争してたなんて「知らん」もんのすごいアホの子であってもね。

 今まで経験した中で最も憂鬱で最もそわそわする年末だったりする。年末が終わって新しい年が始まるのがおれは少し怖い。カナリアとしては。

アストラル・ウイークス
posted by 浪速のCAETANO at 23:00| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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