2006年05月19日

連載の新企画を考える

 はじまりは清原なわけで、ハマーに乗っとる・と。社長がベンツというのも同じようなことで、それはオーナーのパーソナリティの一部を補強する要素としてのクルマの存在というわけでつまんなくない?
 もちろんクルマの存在そのものが、公道を走る限り社会性を持たされることからは自由にはなれないし、モノである限り所有者の意思の内部に留まらざるを得ない「はず」なのである。

 しかし、通りに出てみると、どうだろう。そこでは様々なクルマが「それ自体」存在を主張しながら走っているかのように見えたことはないだろうか? さらにいいクルマに近寄って「中」を見て「見なきゃ良かった」というような・まさにミス・マッチなドライヴァー/クルマ情況が「あいたたた」なことも多い。

 クルマはモノであるが、まあ自分は欧州車特にイタリア・フランス車の80〜90年代の、なんてことないようなクルマが好きなクルマ・バカにしか過ぎないが、そのカワイさを分かっているが・しかし・エンスーと言われればケツがかゆく・なぜならエンスーではないからなのだが、それでもしかし、欧州車というものはその技術は一部グローバルになっているけれども、その時代ならまだ強烈にその国の文化や伝統といった個性が香ってくるわけであって、そこがもうたまんないわけである。

 では、そんなクルマとヒトを強引に組み合わせてみたらどーなのか? というのが今回思っているテーマなのだった。おせっかいながら、例えばキヨハラをチンクエチェントに乗っける。キヨハラがチンクエ見た瞬間からお話は始まる。眉間に皺がよる。おれしばかれるかも。ギャラは出ない。皺が深くなる。それでもなんとか車内に押し込む。中のあまりの狭さに車内がマンガみたいにぱんぱんになっとるがキャンパス・トップを開放して、やっと一息つく。マニュアル運転できるかな。左ハンドルはまあだいじょうぶか。で、チンクエに乗って球場とかへ行く。もちろん高速を使うがこれが「おっそい」。ダイハツ・ミラにも抜かれる。イワすかイワさんかの世界があまりにも身に付いてしまってるキヨハラだから抜き返そうとアクセルを全開にするが100km/hが限界で車体がフルえ、なんか変な匂いもしてくるからさすがのキヨハラもちょっとコワくなり60km/hほどで走る。60km/hなのだがもっと速い気がする。抜いていくやつが「お・キヨハラや。なんでそんなん乗ってんのー」かなんか言いながら抜いていくし、ワゴン車のガテンの団体がおもしろがって並走したりするから「はよ・いけや・ぼけ」とか言うがなんかムナしい。やっとのことで球場着くが、また「なんやなんや」と野次馬が寄ってくる。ファンにはむちゃ言えんので引きつりスマイルで
ロッカールームへ。しかし、その日は3安打4打点の活躍でお立ち台に上がる。インタヴューでアナウンサーが「ところでキヨハラさん・今日は面白いクルマで球場来られたそうですねぇ」とか・振る。「いや・ちょっとね。気分変えよ・おもて」など答えて、まあその場はなんとか終わる。で・自宅までまたチンクエで帰るのだが、活躍したせいかなんだが気持ちいい。上を開けて下路でちんたら帰る。目線の低さも気にならなくなってきた。そして家に帰りチンクエをハマーの隣に停め、
「ひょっしたら今日の活躍はこいつのおかげかも知らんなあ」などとカルい気持ちで振り返った時、思わず声が漏れる「んかわいいっ」

 こんな企画通らんかね? たとえば。

20060519-00000009-dal-spo-thum-「と」09_02.jpg「の」ミスマッチ。

posted by 浪速のCAETANO at 15:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 愛車精神 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック