2011年03月11日

予感

 南海トラフが南に向かって崩壊していく・そして、それはこの国の、その他の事柄の崩壊とシンクロして、そんな予感がある。

 メニエールがきっついなあ今日は・とか思っていたら大阪も揺れていた。

 東北は大丈夫だろうか? 東京もかなりひどく揺れたみたいだ。新宿駅前のものすごいたくさんの人々は家へ帰れるだろうか? 心配する。

 三つ目の茨城沖の地震は、一つ目の巨大地震の流れで起きたはずなのだ。巨大地震の連鎖は必ずある・と思う。プレートのはねっかえりのエネルギーはすぐそばの「こちらもそろそろはねっかえりたかった」プレートへと伝播するなんて事は容易に想像できるからね。

 TWITTERに「ハラになんか刺さってて死ぬう」というトゥイートがあった。ほんとうならえらいことだ。

 津波は地震の溜まりに溜まったエネルギーをそのまま受け継いで陸へと攻め上がってきてた。見ていて「悪意」のようなものを感じた。エネルギー注入・というプログラムが成されたからにはそれをどうしても発散しない事には収まらん・というような問答無用の悪意。クルマも船も容赦なく流されていたが、ヒトは乗ってなかったのだろうか。

 阪神淡路の直下型もあり、南海トラフもあり・とおれたちは誰もがあのNZの被害者たちと運命をシェアしている。なんだか紙一重のところでいまだにSURVIVEしていたりするだけだと思う。誤解を恐れずに言うなら「生きている事の不思議さ」を感じる。それも「今んとこ」と言うだけで明日は死んでいるかもしれないのだけど。

 やっぱりおれたちはあの7500人の方々が亡くなった1995年を忘れられない。今回もまだ情報不足だけど、何人かの方が亡くなったかもしれない。そうでなければそれにこしたことはない。

 今のこの国の状態は「内部崩壊」がひどいが、最後の一撃は「天災」かもしれない。そんな変なシンクロいらんのだが、そんなことを考えるに、つまんない偏見やメンツなどでかんじがらめになることのアホらしさを感じてしまう。

 日本の「幸せな時代」はもう過ぎた・とのコンセンサスを持ってもいいのではないだろうか。

 もう過ぎてしまって、不幸がまんべんなくみなさんの身の回りに散りばめられているからこそ、助け合い・が普通になり、分配もまた普通になる。オノレも大切だが、そのオノレがオノレでいられる環境を作ってくれている「まわり」もまた大切になる。こんなあったり前田・ながら、新自由主義にはそぐわなかった考え方が、これまた「普通」となる・そんなささやかで控えめなUTOPIAはこんな時代だからこそ「逆説的」に目と鼻の先にある。そう思う。

 地震も「あらゆる場所」で起こる・と思っておけば良いのではないか。常に「被害者」になる可能性があり、だからこそ、羽を伸ばす・なんてことも意味がある。

 一番嫌いな態度とは、「NEW」であるから、集中的に話題に上らせ、つぎの大事が起こったらすぐそっち飛びつくこの国のメディアのような態度である・というコンセンサスももう持ってもいいのではなかろーか。もういいかげん・まぢで。

 
posted by 浪速のCAETANO at 17:56| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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