2011年03月24日

リアリティ

 みんなの電話が遅れて、やややきもき・だったが、結果オーライ・だった。

 今日は大阪府公立の後期入試発表の日。全員合格でした・おめでとう。今年の子たちはみんな豊津からおれに「ついてきた」子らだったから、ここで合格させないと「おれはカス」ということになっていたわけだった。脱カス・で良かったでした。

 さてと。

 ここからは「次」のことを考えないと。最高潮に盛り上がった挙げ句の「あまりにあっけない・バイバイ」ももう27・8年続けているが、毎回毎回のこの「晴天の霹靂」とも言えるし「赤ずきんちゃんガブリ」ともいえるような「おいてけぼり感」には毎回う〜ん・となる。

 留学生たちも、おれの絡んだやつらはみんな日本の大学生になれた。これも昨日知ったのだけど。

 さきほどTVをつけたらセンバツの時期なのね・もう、ということだった。ただ、様子が違う。それは鳴りものなしだったからなのね・ということに気づいた。

 よいのでは・これで。まあ・ブラバンと団は手持ち無沙汰だろうと思うが、最初野球はこうだったしね。審判の「アウト」「セーフ」もよく響く。いつものような大騒ぎ・な環境は「祝祭的」ではあるが、ちょっと本末転倒って気もしてた。それが甲子園の雰囲気だったのかもしれないが、ごく最近からのことだ。やっぱりバブルの頃にだれもが「祝祭感」を求め、そしてバブルが終わっても、その「求める」気持ちというか手法だけが一人歩きし、自己増殖を始め・今日に至る。それは甲子園・に限らず、あらゆるところにある。

 というか・「あった」にしないといかんのぢゃなぁい・なんて思っている。

 狂騒・に近かったその「祝祭状況」はいろんな人々から、パースペクティヴを奪っていってたと思うから。

 それは金融からちびっこに至るまであらゆるところで起こっていたのではないかな。近視眼的になっていた。牛乳瓶の底眼鏡をみんながかけてた・ってことね。

 政治はもろ・そう。とりあえず・やりすごす・だ。それが「やりすごす」ではすまないのが今の現状だ。

 管が「なにもできない」のはそんなとこが原因だろう・と思う。政治風土が「やりすごす」一色になっていた挙げ句の果ての首相だからね。

 メディアの責任はあったりまえなのだが、どんな大変な事態になろうが、これまでは、猟奇殺人が起こったり、力士が八百長してくれたり、受験生がカンニングしてくれたり、巨乳がフィリピン逃げたりして、時のメディアの話題を独占してくれていた。

 ところが今回の大惨事は、おそらく「それを忘れること」が非常に難しいだろう・という気がしている。なぜか・と思うなら、それは「東京」が被害者のはしくれ・だからだ。

 阪神淡路のときがそんな状況がもっとも長く続いたと思うけども、それでもまだ「関西」の話だった。ワイドショーに於ける・その「うんこ我慢してるような」深刻な顔のキャスターが一転・芸能の話になると、「ぷわ〜」みたいな顔と雰囲気になる「転換」がなんかなあ・と思っていたわけだった。しかし、今回だけはそう簡単には元には戻らんだろう。別にいいんだよ・戻んなくても。

 戻んなくていいさ。しばらくは「静かな画面」と「静かな夜」でいいもん。おもしろさ・や、たのしさ・をメディアに求めてた人たちがアホやったわけですよ。おもしろさ・や、たのしさって「身近」にないとあかんのよ。

 おれは、スーパーとかのレジのバイトのねーちゃんとかをよう冗談言うて笑かしてるおっちゃんおるでしょう・あーゆーのにやや憧れるが、そっち方面の才能・皆無。例えば被災地域とかでは、もう「お笑い芸人」では笑えんのじゃないか・と思ったりしてる。それよりも、「そんなおっちゃん」でしょ。それがリアリティでしょう。違うかな?

 ヴァーチャルな世界も「一瞬」でいいからチカラを失うというか・相対化されてもいいとも思う。ヒトとともに街も一瞬で消える・とはほんと・「大変なこと」だから。

 避難所では、「おにぎり飽きた」「酒飲ませろ」「喧嘩」なんてことになってるとこもあるみたい。それが人間なのでね。いやー・飲まなきゃやってられんよね。

 だから「とりあえずやりすごせない」そんなことになってきた。

 ほんまに管・でいいの?

 もう完全に「人災」の時間帯である。全避難所への補給ルートぐらい確保していただきたい。そんな中でも、懲りずにまだ大企業を儲けさせようとしてんのは誰やねん。

 「国民の生活が第一」にブーメランしていただきたい。国民の生活は「奪われた」わけよ。対岸から眺めてるだけじゃ「無意味」だ。そんな印象ないですか?

 本格的被爆者も増えてきている。

 震災後に収録されたと思われるACのCMが流され出したが、それもまたフリクエンシーが上がれば上がるほど「もう・ええっちゅうねん」という言葉がみんなの口をついて出るだろう。もうそんな「時代」ではないし。そんな震災前の考え方でもうどうにもならないし。

 うそと・・・・なフリはもう辞めていただきたいです。今回ほどメディアが「なんの役にも立ってない」ことがちょんバレなのが、いい傾向である。そんなことのための犠牲は限りなく大きかったのだけど。

 リアリティの重さが肩に食い込む日々だ。
posted by 浪速のCAETANO at 16:59| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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