2011年06月03日

梅雨の合間の・・

 毎日うっとおしい。生活ではなく、おまえのことでもなく、天気がね。なんちって。おまえ・とか言うたらあかん。

 梅雨時は早起きの季節。もう明るくなるのも早いです。今日はそんな中、清々しい一日だった。爽やかな初夏が一瞬戻ってきたね。かなり爽やかではない日常のおれとしてはこゝろも弾む「外メシw/BEER」敢行日だった。ハトが迫ってきたが追っ払い、ネコが寄ってきたから卵焼きをシェアし、気分のいいひと時を過ごせた。

 運命はそう簡単には変わらんが、気分は変えられる。気分の集積が思考の環境となれば、思考に変化が生じ、それによって運命も1パーセクぐらいはどちらかにズレるやもしれぬ。

 最近思うのは、カラダが元気か・どうかだけがポイントだな・ということ。カラダが気分である・からなのだが、しかし、それに対してこれまで如何にその管理を怠ってきたことか。ほぼ無頓着と言えるほどの乱暴狼藉をオノレのカラダに対してはたらいてきた・と思う。若干ながら「無頼」の血も混ざっていたからな。昔のミュージシャンのニュアンスである。

 60'sの人たち、ほんとに自堕落でハチャメチャな死に方をしたものだ。しかし、それが「似合う」のだからしょうがない。死に方にも時代性だ。そこからみなさん「反省」しだして、保身やら健康やらを考え出した。タバコが悪者になり、酒さえもそうなりつつある。アメリカってほんとにしょうがないと思うが、まあ西の実験国家としてはこれまたそうなることも「しょうがない」のかもね。

 その後は正に「管理」「管理」。自由なんてあっという間になくなってしまうものなのだ。新自由主義なんてほとんど冗談のようなネーミングだ。金儲けの自由って、そんなものにしか自由がないとはなんなのだ。極端なパラダイムよね。

 自由・なんて、それを維持するだけでも難しい。油断してると「あっ」という間に指の間からこぼれ落ちてしまう。

 管理の反動だろうが、自由は「好き勝手」としての表現になりがちだが、その加減が難しい。いや・実に難しい。そしてカネがその好き勝手の根拠になるかのようなコンセンサスがいつの間にか蔓延してしまっている。みなさん・極論に走る。抑圧されている・これこそが証拠なのだが、「解決」よりも「気を紛らわす」そんなテムポラリィ・リリーフを選ぶ。トラブルは極力避けることが望ましい。これもまた現代のコンセンサスであったりする。その結果、視野は決して拡大しない。前だけを見て走っているクルマたちである。車線変更で隣のクルマに当たる。それがいやだから、車線変更はしない・そんな運転に例えられるような生き方も多い。ミーイズムということばがあったけどね。

 国会・特に今日は予算委員会であるから、ほぼ「罵倒」の言葉が容赦なく投げつけられていた。どっちもどっちですね。「党利党略」しか考えていない・と批判する方もその批判が「党利党略」によるものだったりする。

 民主主義のそのレールの先に「ファシズム」は涼しい顔をして待っている。

 橋下くんが、そろそろ「本音」を出し始めてきた。

 かれが目指すものは、統制の利いた・大統領型首相に多くの権限を与える国家だと思うが、しかし、それというのは見事に今の政治に対する「批評」になっているかのように見えるところがやや不気味である。

 見に行ったりはしないけど、プリンセス・トヨトミ(やったっけ?)あんな映画も橋下くんには追い風になるだろうし。

 大災害が起こって、みんなの気がそっち行っちゃってるタイミングってそんなことである。小泉改革によりズタズタに切り刻まれ、政権交代によりぼろぼろに風化したこの国の生活と精神は大地震と津波と放射能により破局の始まりの終わりを迎え、さらに怖い第二章が始まろうとしてる。おれはそう思う。

 1923年の関東大震災・その二年後には「普通選挙」が行われたが、それとバーターみたいに「治安維持法」が発令された。明らかに大正デモクラシーで広がり過ぎた自由の制限を目論むものだった。そこから五・一五・満州事変までは「ほんの6年」であった。


 これが皮肉になったらあかんと思うのだ。
 

 
posted by 浪速のCAETANO at 17:53| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック