2006年07月18日

第六回路地祭り前半

 世間は3連休だったのか・そーかそーか。今知った。

 「世間」のことなど本質的に興味がないからそういうことがままある。ほんとにどうでもいい。
梅雨は終わると見せかけといて明けるのはちびっこの夏休みの開始と同時か。

 7/16は我がデッドエンドストリートの夏路地祭り前半戦@TODO O MUNDOだった。あ・後半戦は@Naturally on 8/5(土)ですよ。

 ワインが何本も抜かれ、食い物もふんだんにあり、どんだけ飲んで喰っても上限\4000の「もうこれ以上はいただきませんの愛と友情の良心価格」。パラダイスである。でしょ。前日自分は波瀾万丈の人生でほとんど寝ていなかったのだけど、最近はなんだか自分の中に「音楽的充実」というものがあり、なんかそういうのって久しぶりだなあ・などと、他人事のように感じつつも、「やれることはやれるうちに」「If I don't do it, somebody else will」なんてのがモチーフな日々なのだから、文句なしにやるのである。多分それには誰も文句ないはずなのである。

 「浪速のカエターノ」の気分が40%ほどあり、ラフレシアン・コムプレックスでは「過剰」を押さえざるを得ないから、いや、それはそれで良いわけであって「本日おれにはこの場がある」と思える幸せを感じるわけだった。不安はあるがやってみる。それは、次につながるもので、100回の練習よりも本番の1発主義の集中力で何事もやるわけである。歌いたい歌があることの幸せも噛み締めるわけだった。「過剰」も「過剰でふつー」なやつらが客なのであるから何の問題もないわけである。

 だからそのことだけを考えてても大丈夫な前日は久しぶりに「非常に幸せ」な一日になるはずだった。なるはずだった・などと過去形なのは先ほどの波瀾万丈が待っていたからなのだけど、自分は「キング オヴ 器用貧乏」@西川で、しかもヒトにあーだこーだ言われるのが大っ嫌いであるから、自分がやっていることはさまざまあれど、それはすべて自分が責任者なわけで、しかし、その場のとっ散らかり方は、というとほぼ多重人格を肯定せねばならぬほど(病理としてのではなくだけど)精神のモードだってさまざまなわけである。

 ヒト様の目に映るものというと現象としての「社長」なり「先生」なり「マルタニカズ」なりなのだが、そこはほら・現象のベースになる精神のモードといえば多少のカブりはあれど、その大モトのモードはまるっきり異なるわけである。例えば物事をヒトが学ぶというてんに関してはこれはその大モトではどれにもあてはまるわけだが、その手法となると「社長」と「先生」と「マルタニカズ」ではかなりの違いがある。まあ簡単な話、よりどのヒトが本体のコアに近いかと言うと、そんなものは言わずもがなの世界で「マルタニカズ」以外にないわけである。もっと正しく言うならば最も自然なペルソナである。ペルソナに関して「?」と思われた向きは「曾根崎キッドの日々」のなかの「マスクマン」というバカ短編を参照していただきたく思う。
http://blog.goo.ne.jp/monile1780/d/20050608
 やっぱりトシとともにおれも「ややお疲れ」なのか、そこらへんの切り替えが、その前の精神モードの余韻の強さからうまく行かずに「ひきずっちゃう」ことも多くなってきた。それが意外にこの土曜日、うまくいった。今日から明日までは「音楽のことだけ考えてればいいのよ」と、この場合はそーですねえ、カウンセラー・トロイのオフィスにカウンセリングという名目で来て、ちょいとヨリを戻すきっかけを作ったライカーみたいなキモチになってた。やや有頂天・しかし、感覚はなかなか研ぎすまされて、アタマの中では何チャンネルも音がアンサンブルとして鳴っている・という理想的な情況。よく考えたら、この有頂天に最近ほんとによく起こることがある。そうじゃない立場における失態である。世間はある一つのペルソナに耽溺することさえもほんの一日たりとも許してはくれないのだった。つらいなあ。人間くささを理解するには自分の足で立っているなんてことが前提などということも忘れていた。パラサイトにはパラサイトの理屈はあると思うが、自立している人間にもそれなりの理屈はある。自立している側の人間の理屈が軽視されがちなおかしな社会だが、それはとりもなおさず、選択の余地の有無から来ているのだが、つまりバイトならなんぼでも仕事変われるが店やちゃんとした仕事はそう簡単に辞められんでしょ。社会的責任というわけだが。

 それにしても路地祭りはやはりチカラ抜けた楽しさがあり、専属DJユニット・アオミタキの選曲も冴え、久しぶりのフォホーまで飛び出す有様で、最後は熱と脱水・酸欠により自分もふらふらだったが、しかし、そのあとの白赤チャンポンは五臓六腑にぎゅいーんと染み渡るのだった。そういうとき全然酔わないのね。肉体労働者系統なのかね・おれ、意外に。でもなんというか、どこのライヴハウスにもないトドムンド独自の雰囲気というものがありまして、それは途中で電車気にして帰ったんじゃ味わえない。身もココロもユルしてしまったあげくの快感プラス解放感なんです。体験者には「みなまで言うな」だが未体験者には「想像もつかない」と思う。これすべて「過剰」の成せるワザ。もうひとつの楽しみはライヴ後のバカ空間なのであるが、今回もおれは見ていて楽しかった。これはとんでもなくって言葉にできないが、いやー「身もココロも・・・」というのがやはり条件になるかなあ。バイーアだね、その時トドムンドって。しかし、開けっ放しであんな音出しても誰からも文句が来ない。まあ、これは見捨てられた・忘れられた路地だからなのか? そんな好環境はひょっとしたら都市の中では日本中どこ探しても見つからないはずだ。でも、これ梅田の真ん中の話よ。それだけでもびっくり!!よく考えれば考えるほとびっくりだ。理想的なアンダーグラウンド・と言える。

 いやー楽しかった。やはりこれは「秘密めいた情況」をキープしといた方がいいのかな。

iPhoto.app「From 曾根崎デッドエンドストリート」

 では後半戦、たのんだぜ、ミタキ。

 


 

 
posted by 浪速のCAETANO at 13:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 路地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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