2011年08月01日

ビョーキのヒト

「もう外は暑いね・へへん」
「仕事見つかったん」
「うん、仕事はしてるよ。京橋やねん。風俗やねんけど・ははん」
「昨日一昨日は休んでんけど、生理やったし・へへん」
「まあ仕事は何でもなあ」
「そうよ・京橋はええわあ。難波も梅田もええけど、京橋はええわあ・近いし・ははん」
「風俗やねん。一応コンパニオンて言うねんけど・へへん」
「心療内科も通ってるよ・週に二回・へへん」
「冷や奴ください。あとやきそば」
「昨日一昨日は生理やったから休んでん・へへん」
「でもちゃんと行ってるよ・ははん」

 そんな一方的なトークを隣で聴きながら、豚ネギモダンを喰っていた。ビールを飲みながら。

 みんな、少なからず「ビョーキ」であるし、おれだって言われてみるなら、そうだ。自分を確認したいが確認できないで変なとこに迷い込んでしまう。自分探し・なんていう悠長なものともちょっと違う。探す前に自分が「いないんじゃないか?」という恐怖が先に立つ。

 彼女の「ははん」とか「へへん」は言葉尻にそれがないと、発した言葉が「宙に浮く」のだろう。「なんちゃって」だ。敢えて希薄にしないことには、その意味の重さに堪えられないのだろう。へへん・ははんでとりあえず「回収」しとかないことには、後で、影のようにつきまとわれてその重さに潰されてしまう。そんな気がしたのだ。

 敷居の高くない店は日常的にそんなことがあってるのだろう。そう考えると、うちの店も、その手のやつに、もっと距離感考えてうまくやってあげたいとも思うが。頭突きとかしたらあかんね。

 いっそのこと「みんな病人なんだから」ってのがよいのでは。

 みなさん、自分以外が「まとも」であることを期待し過ぎである。自分がいかにまともで・あるいはいかにヘンタイであるか・なんてことって、なんとなくしかわからない。歳取って来ると「ある程度」はわかってくる。しかし、そのわかってくるときのオノレは「まとも」でないことにはその程度のほんとのとこはわかんない。ジレンマだったりする。

 さて8月にトツニュー・だ。おれにとってはアナザー6月であったりする。2ヶ月に一回、同様の目に遭わなきゃいかんのか。人生はなかなか辛いです。しんどいことのヴァラエティはかなりのもので、どーしよーかなあ・と思ってるが、ほんとルーティン化しながらでないとやってらんない。

 まあ、昨日の一件で、まあ店における自分の立場、よーっく自覚させられましたので、自宅でゆっくり過ごさせていただこう・と思う。みんな、安全って好きねえ。しょうがないね。多分に誤解もあるけどね。


 死ねば存在はカルくなるのか。

 
posted by 浪速のCAETANO at 14:38| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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