2006年08月16日

お盆周辺に・よりはじめて

 8.15前後というのは、立場とかを超えて神妙ともちーと違うが、物事や歴史なんてものを静かに遠い目をして考えたりするのがいいと思うのだけど、なんだかみっともなく騒がしい日だった。それもこれも小泉くんの「ひとりよがり」である。「ひとりよがりのセックス」なんだろう・彼。そしてそのひとりよがりのセックスに否定的な意見の加藤氏宅が放火(きっと)されたりするなんてのは方向の違うテロだ。テロの一人歩きだから既にその方向は問わなくなってしまっているのかもしれない。少しでもリベラルな言説を見ると放っておけない「右寄り」の考えの人々は自分たちがものすごく安泰な現在の思想情況に「それでもまだなんか盤石ではない」というへんてこりんな危機感を抱いている。正確にはほんとうの右の方々とはぐるりと一回りすると何良くなれるはずである。現実の行動・それも考え抜いた末の行動なんて驚くほど似通っているはずなのだ。右45度らへんを「なんだかよくわからないがうろうろしている」やつらが厄介なのだ。

 今は全体が「右に倣え」してるわけだから、すべての権力は右・的になっているわけ。どんなに、たとえそれらがリベラルであろうがラジカルであろうがその権力形態は右・的になってしまう・というこれもまたへんてこな事になっている。モノを考えなければ右に簡単に吸収されるし、少しぐらい考えたとしても、歴史をそれこそよーく考えないと、小泉くんが言っている事を「正論じゃん!!!」などと思ってしまう・短絡がそこにはある。「心の問題?」笑わすなよ・ひとりよがりのセックスのくせに。お前が心・とか言うな・という話である。

 いやな世の中になっている・ということはどんな場面でも「証明」されているはずなのだが、微かな希望に賭けて最終的にがっかりなんてことの連続だらけだ。そんなことはわかっていた話だけどね。お盆が過ぎるとハード・デイズ&ナイツの始まりである。だからあんまり緩むと元に戻らんと思い緩めなかった。「現実」が待っとるからね。アタマ痛し・だ。

 いいこともあった。旧友の何人かと会えたこと・海の豊かさを感じる事ができたこと・ナガサキの魅力に触れられたことだ。ナガサキという街は海があって山があって食材が豊かで港があって異国の香りが充満しててかつては東京の吉原・京都の島原と並び称される丸山があって街は色っぽく人は優しくとても素敵である。金があったら地中海料理の店をやってみたい・など妄想が膨らんだ。異国と一口に言ってもその内容はポルトガル・オランダ・中国と多彩でその絡み方も幾種類もあってそのひとつひとつのアジは長時間煮込まれたトンポーロのように濃厚でコクがある。空間的・時間的距離を取って初めてわかることがある。特に最初からバイアスがかかっているとそこから自由になるのに時間がかかる。いやー新鮮だった。TVばかり見て物事わかったつもりになってるヒトは是非訪れてみてはいかがでしょう。歴史の・とひとことでいうとあまりにカルいが、その歴史を構成するものがおれたちと同じ・過去の人間ひとりひとりの生き様というかそのときそのときの試行錯誤と歓喜と怒りと愛情と失望と悲哀と絶望が人の数だけ折り重なり層を形成してその中を濾過されてきた地下水を味わうことがその街を味わうことであるという例えがなんとなく「ふんふん」と頷けるなら、それは無駄足ではないと思う。

 

 

 
ラベル:丸山
posted by 浪速のCAETANO at 10:37| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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