2006年08月18日

く・く・くるしい

 コーヒーが切れて・く・く・くるしい。

 タバコを切らすこともある。夜中の強い酒を切らすこともある。本日はコーヒーが切れている。く・く・くるしい。

 しばらく留守にしてて帰ってきたら一日分しかなく、それを使い切った後で宅配の電話をしたなら宅配は明日から再開で・・・と。そらそやな・宅配のおばちゃんも「お盆休み」だ。それが普通の健全な企業の福利厚生だ・そーだそーだ。しかし、く・く・く・くるしい。

 うちのコーヒーはもう20年ほど江坂のコーヒー屋さん「Hiro」から宅配してもらってるスマトラ・マンデリンなのだけど、これ以外は飲めないし飲みたくないから、余所でもほとんどどうしようもない状況をのぞいて飲まない。おれにしてみると、それほどヒロ・コーヒーのマンデリンは旨く、それ以外のコーヒーはマズい。こないだ実家で親父がいれてくれたコーヒーだったが「うーむ・マズい」だった。まあ家族内の話だからそれはギャグで済むのだが、コーヒー専門店とか、ホテルのコーヒー・ハウスとかでそんなんだったらこれ・ユルせない。

 コーヒーは酸味のあるのはダメ。だから「それは素敵な飲み物コーヒー・モカマタリ」もちょっと苦手である。ブルー・マウンテンは高すぎる。マンデリンがその深み・苦みともチャンピオンノヴダワールドということになる。365日飲んでます。重要な日常の一部です。

 毎日の・・という話になると、またそれがおれ個人を作り上げているわけでこれはとても大切なものなのだなあ・と今気づいた。アホは相変わらずである。まあそれをネガティヴに捉えると生活習慣病ということになるわけだね。

 毎日必ず摂る・やるとなると、食べ物では毎日共通の・・というものはない。ご飯も毎日喰うわけじゃなかった。麺類しか食べないこともよくある。毎日となるとなあ・・まずタバコ・コーヒー・お茶・ワイン・ズブロッカ。けっこうスレスレのバランスのような気がする。あ・それとサプリメントかな。VitaminC E B ウコン 青粒。これでちょっといい方へ傾いたか?

 で、毎日何をやっとるのか・キミは? という話になると「うーん」と考え込まざるを得ない。
 仕事はしてるよ・それなりに。仕事量はぐっと減ってるけどね。ただ、毎日録音とかできんでしょ。毎日作曲・作詞とかさ・それはムリ。ギターには触ろうと思ってます。喉もあまりブランク空けすぎないようにとココロがけてもいる。ただこれらは「楽しんで」やらないことにはおれの場合はですね・ちょいときびしいのね。何故か?
 ずっとやるからである・音楽は。さらにアンチ・スペシャリストだから。まあ・何か腰を据えてやらないとあかん時期でも他のことは絶対にする。いや・やんなきゃいかんのよ。だから何かにいれ込んでるようには他人から決してそういう風には見えん・というのでまたまた誤解されるけど・それがスタイルだからしょうがない。スタイル崩れる→バランス崩れる→人生崩れる。「もう崩れてんでー」というツッコミごっつぁんでしたが、まあ・そのう・人生実験場でしょ。それはそれでいいじゃん。

 もうほんとにさまざまな誤解のハリケーンの中に生きていると思うのだけど、そのひとたちのその誤解・いつかは氷解すんのかね? ヒトの本質なんて一番「ス」になれるとこにしかないわけで、おれにしてもだれにしても・例えば曲を書くなんて時に「落ち着いて書く」なんてことはできないようなやつが曲を書くときというのは、奇もてらいもないわけで、もっと言うと余裕もないわけで、そこにものすごくヒトの率直な部分が表出してしまうというわけなのよ。だから、最近おれの歌は好きだが、ほかサイテーなどと言われ距離を置かれるパターンありましたが、その「ほか」って演技いっぱい入ってるわけよ。その演技の部分サイテーと言われても、アンタのサイテーは見逃してやってる・そこんとこは一体どーナンのさ? と質問するとまた話こじれるから、しないけどさ、おれも一応表現者なわけだから、自分の大切なとこ・つまりエネルギーの源はやっぱ守んなきゃいけない。それはまあ世の中との折り合いつけにくい性質のものであればあるほど、その外側の演技も必要になり、まだ若い頃なら、ニコニコしながら裏で舌出しとくのもいいけれど、ええトシになってきたら、そのあんだけ器用だった自分も演技の切り替えにやや手こずるなんてこともあり、第一そんなことするのも時にいやになるからさぁ。しかし、本質はもちろんコアの部分にしかなく、如何に演技でいいヒトを演じてもそれは露呈するし、そこんとこアンタらもどこに本質があるか探す「目」をもたないとあかんと思うわけよ。いや・まじで。だから例えばさだまさしのあの歌というのはあのひとの本質なわけよ。ヨワく・みにくく・ズルい・さらにそれに開き直る・という・ね。それが受ける=ヨワく・みにくく・ズルい人々がそれを全肯定する。わかいやすい図式でしたね。タモリも昔は「大っ嫌い」なんて公言してたんだけどなあ、今となってはわかりやすく転んじゃってるってことなのかな。まあおおっぴらにそーいうこと言えなくなってる時代ですから、そこらへんのパワーは内へ籠るということですね。タモリ倶楽部あって良かったね。最近水曜の夜にないのはなんでだ?

 表現しているものがそのヒトのすべてだ・でいいわけ。しかし、最近のうた・思うところがひとつあって、それはその中に含まれる「情報」があまりに少ない。これは「感じる」ものであるからもとより数値化できないからそれをあーだこーだいう際に困難を伴うのだけれど、でも言うが・それを聴いたことによって、聴き手の感情の中にそれをきっかけとした「小宇宙」がそこここに生まれない。疑問も生まれない。驚きもない。感情の表層を滑って行くか、その作り手の考える・賢い小学生ならすでに知っていて「ばーか」とか言われそうなことをもったいつけて歌ってるだけ。TVでよく流れるから「不快」なのだが河口キョウゴとかいうさるの「さくら」なんていう右翼軍国主義国家ニッポンならでは/に向けて・な曲が流れるたびにおれは、ケツ周りがかい〜くなりつつ、胃の内容物が逆流しつつ、全身「ぞぞ毛」が立つのだが、それ「犯罪」やん。おれが金あったら「裁判」おこしてみたい。実験してくれてもいいし。全身「ぞぞ毛」立たしてみせましょう。オエーもやりましょう。しかし、ケツ周りの痒さはどー証明すればいい?

 不快と言えば「鈴与グループ」だ。あの「みたことのないもの、みてみた〜いな」が始まるとおれはヴォリューム(ー)ボタンをこのやろこのやろと押し続ける。あの歌ってる「幼児声のおんな」ユルさんぞ。あれを作って歌詞書いたやつもユルさんぞ。な〜にが「ありんこのなみだ」だ・絶対にユルさんぞ。センスのかけらもないばかが何人もそこにはいるというのがわかってオエーだ。歌ってるオンナもワザトラマンか(これは・フルい)。そいつの歌唱指導したやつもユルさんぞ。なんやその歌い方。歌ってるおんなは一回SMのAVかなんかに売られろ。けっこうええトシのちゃんと歌えるやつがちょっと「足らん子」のふりして歌ってるの・見え見えやぞ。あのなぁ・言うとくけどなあ・うちのMグなんてあれで精一杯やっちゅーねん・ボケェ。

 あ・やっとコーヒー到着ぅ。禁断症状ってこわ〜い。

 

ラベル:おマンデリン
posted by 浪速のCAETANO at 12:27| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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