2011年10月28日

無垢

 シンガーソングライター!!水谷ゆう(11)ちゃん・なのであるが、彼女は:

 生まれる前に空から「ママ」になるヒトをずっと見ていたのだそうだ。で、優しそうなそのヒトのコドモになりたいと思い、神様にお願いしたら、ちっちゃなシャボン玉に包まれて、下へと降りていったらしい。

 少女の・おそらく、直観なのだろうが、これなかなかいいのでは・とおれは思った。まあ・彼女が今・幸せである・それがベースにはなっとるが。

 親の意図・みたいな気持ち悪いものが入ってないところがまずいい。そこには、ちびっこタレントの気持ち悪さはとりあえずない。今後・わかんないが。

 「コドモは親を選べない」というのが、おれたちの「あ〜あ」だったのだけど・・・とぶつぶつ言いながら、そないあっけらかんと「そのように」言われると、しかし・なにかしら「真理」を含んでいるそのような事柄をなんだか全否定もできん空気感ってあるな・と思う。

 トイレの神様・もそうなのだが、あーいった「無垢」なものをヒトが求める事自体、社会は病気と重度の障害を抱えてしまってる・と思うのだが。とは言え、「無垢」というのはおれはそんなに嫌いじゃない。INNOCCENCE・とは十一歳の少女だけが持つものでもない。最初・みんなそうだったのだ。

 だけどね、この世は・特に最近、親もアホだから、「得」とか「有利」とかそんなキーワードでオノレを納得させ、それをコドモにまで始終言ってるから、それがオノレに帰ってくる・そしてさらに「ギャオス化」する・そんな悪循環に陥ってるのね。劣等感と優越感のはざまでカンペーするっていうか・なんていうか。無垢が報われない・ことでヒトは復讐に目覚めるわけよね。環境があまりにF○UKという不幸があった。親から殺されるコドモ・がそんな歌を歌えば哀し過ぎるし、親を殺すコドモがそれを歌えば「ブラック」なことこの上ない。

 まあ・水谷ゆうちゃんは「今んとこ・とっても幸せ」なのだな・と言う事だけは分かる。

 魂がふわふわ浮いていて、しかし実体はなく、それがある時現実の雲の末端とクロスすることによって、生命が実体化する。生命のもと・はあるのだ。それは遺伝子とも無関係で、クロスした正にその瞬間に、その親たちの遺伝子をも受け入れる。そんな話がある。ベースになったのは仏教であったと思うが、生命の誕生と存在の不思議がそこにはある。精子の卵子争奪戦は偶然ながら必然なのだけども、そして、そのすべては遺伝子に支配されている・としか思えないにもかかわらず、精子の卵子争奪戦のような偶然ながら必然みたいな観点から、ある種の意味を見いだそうとする・虚しい試み・というか思い込み・ってしかしなかなか悪くもない。

 11歳の少女って「ほとんど巫女」であるから、その無垢度もかなりいいとこまでいく。無垢だから残酷なんてこともあるけれど。

 しかし、時代はどんどん「ネオテニー」だなあ。少し、ディランが現れる前の状況と精神的には共通項もある気もしてる。いいのか悪いのか?


 なんというか・さー。
posted by 浪速のCAETANO at 10:06| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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