2012年03月24日

奥の細い細い路 Numero3

 
 DAY5 「賢治の街で」

 シミちゃんから、東京飲みを誘われるも、嬉しいんだけど今「フィールドの徒」であるおれは、ポジティヴに断るのだった。4日間お世話になった大沢温泉、ありがとうございました。でも帰る前に、もいっかい露天。風呂がフィールド、風呂もフィールド。
photo_19.jpg温泉人類学があってもいいぢゃないか!!!
photo_20.jpgおれたちの日常ではありえないものね。


 しかし、善き日々だった。こんなに「非生産的」で、さらに「心も痛まない」そんな日々がこれまで何度あったろうか。今までになかったことが、今あるってことは何かが今までとは違うってことだよね。まあ、個人的なことだけではなく、全日本的にも何かがもう違うわけなので、「違わないのは」ヤツらだけなので、こっち側がノーマルなのよ。

 シャトルバスで花巻駅へ向かう途中、この・今見てるものは「おとぎ話」なのではないか、とずっと思えていた。思ったのではなく、思えたのだ。おれはヴォランティアをする時間もないし(あったりして・だはは)、それは自分がやらずともと思う。自分が出来ることは、東北のハードの復旧・復興ではなく、東北のプライドの復活に末席ながら貢献することでは・と思う。それなら実に参加したい。末席を汚したい。実際に、上方の人間が「憧れ」を持っていたあの東北は別に今も・その東北なのだった。東京中心の変な「ヒエラルキー」もどきが、日本人にミョーな階層意識を作っちゃってるのだ。メディアが、その元凶だと言えるが、それを受けいれる変なお人好しも日本人の中にはある・と思う。

 花巻に戻り、本日は「賢治の日」にしようと思っていた。天気は晴れ・気温は3度(ちょっとここきびしいとこながら)、手段はチャリ・レンタサイクルである。

 ちょっとした事件・でもないけど、あった。くそ重いサムソナイトをコインロッカーに預けようと思ったが、一番キャパがあるのが全部「お仕事中」であった。そこで花巻駅の「みどりの窓口」と「検札」を兼ねてるような駅員さんの所に行く。昔のJRには手荷物預かりってのがあったよね。それがないか・と尋ねるならば、その駅員さんは「ない」と言う。では「預かってくれないか」というとその駅員は「預かれない」という。「そこをなんとか」というとそのアホ駅員は「預かれない・ということになっている」。カチンときた。「ということになってる・てなんやねん」「その官僚的な物言いが気に入らんねん」「せっかくこれから賢治記念館へ行って花巻がこんなによかった・みたいなことになるかもしらんのを、その入り口で、お前がそんなクソ官僚みたいなことで、花巻サイテーにすんのか」「ファックやファック」とエキサイトしながら言っていた・気がする。チャリだから、重たい荷物はだれか・どこかにお預けが前提だしね。
photo_12.jpgこやつがクソ重かった。

 もう、「ということになっている」に、おれはぶち切れて「なぁーにが、ということになってるじゃ・ぼけー」みたいな独り言オトコになってた・気がする。「お前みたいなボケが街の復興を妨げとんじゃ」みたいなこともひょっとしたら言ってた・かもしれない。

photo_21.jpg本日の相棒。内装3段変速・一人力。「イーハトーヴ号」なんて名付けたくなる。→ミーハー。
 
 なんとか、観光案内所に荷物を預かってもらい、チャリを借りて花巻駅から北東に向け出発した。北上川にはすぐに当たり、「イギリス海岸」でぼけーっとする。まだこの時は、名所旧跡探訪おとこ。

photo_20.jpgイギリス海岸にて(1)
photo_19.jpgイギリス海岸にて(2)
photo_18.jpgイギリス海岸にて(3)
photo_15.jpgイギリス海岸の少し上流。北上川そのもののダイナミズムがいい!!!

 そこから、宮沢賢治記念館への路はなかなか遠かった。頼みにしていた陽射しがぱたっとなくなり、雪になる。で、なんとなく方向はわかってるつもりで、会う人会う人に「どこらへん?」と尋ねると、大体のことを教えてくれる。そして最後に「坂を500m上がんなきゃ」と「フフっ」と笑いつつおっしゃる。「自転車は無理よう」とも。

 若干迷ったからか、小1時間ほどかかり、麓までなんとかきた。みなさん同様におっしゃる坂まで来た。そこをさすがに三段内装変速の一番カルいヤツでえっちらおっちら上る。「ま・そらまあまあ・きついな」「ま・チャリでは若干無理あ・る・よ・・・・な」と上ると駐車場に出、そこは宮沢賢治童話館で、いろいろあるのね、イーハトーヴ館とかさ、しかし目指す「記念館」は「そこからさらに500m」ってのが真実でした。その坂はほんとに急で、「あ・これ・ほんと・むりね」でした。
photo_16.jpgこれぜったいむり・ね。


 実は、丸4日のおこた&風呂の生活で足がイんでた。500mの出発点に「なめとこ山」というズバリなそば屋が「鴨つけざる」と看板を出している。ハラも減っていたし、はいっちゃおか・と思うのだが、「映画の前のメシ」の教訓を思い出して踏みとどまる。集中力なくなるのね。寝たりとかね。とにかく「記念館」first。でなけりゃ雪の中走ってきた意味がない。はーはー言いながらも500m上ると、手前に宮沢賢治記念館・さらに奥には新渡戸稲造記念館もある。そして「山猫軒」というレストランもある。また人を惑わせる〜。


 宮沢賢治記念館は「実に・非常に・素晴らしく」おれは1時間以上いて目を皿にしてすべてを見て回った。ものすごく刺激的だった。家にあるものをもう一回読んでみようと思うし、もう賢治全集はこれこそ「大人買い」するしかないな・と思う。これこそ21世紀のバイブルかもしれない・とまで思う。ほんとに素晴らしい宮沢賢治記念館へ、500m上って行ってみてください。まああまりにも遠いのだけどね。まあ、アナザー熊野詣でだったかな、おれにとっては。聖なる土地にはね、カルく行けちゃいかんのよ。これ・絶対に真実。


 ちょっと放心状態になって、ふらふら「山猫軒」へと吸い込まれ、知らないうちにカツカレーを注文していました。お味は、そこそこ、でもいい。山猫軒だから・と、えこひいき。でも地ビールは旨かった。いやカレーもそこそこ・よ。そこから500m下って、新渡戸稲造のことも忘れ、「なめとこ山」のことも忘れ、下って気づき、でもまあどっちでもよく、チャリでまた花巻駅まで戻るのだが、この帰路がこれがまた向かい風の吹雪で、なんかチャリが進まんのね・前に。一番カルいギアにしないと漕げないほどの吹雪なのであって、足も弱ってたのかなあ、しかし、大変な7kmでした。帰りに「羅修地人協会」を右手にちら見しつつも、寄ろうなんて気にはなれず、ただただ、花巻駅を目指した。

 雪まみれ・だったのだろう。レンタルチャリ屋のおばあちゃんが「あっらぁ・寒かったー」と迎えてくれました。100円まけてくれた。こういうのにツーリストは弱いわけよ。聴いとるか・花巻のボケ駅員。荷物を取って、けんじライナーの時間を確認し、ポケットの中のチケットを探すが・ない。「ん?」で、思い出す。宿から出るとき、こっちのポケットに入れてた紙類・全部捨てたな。あいたたた・だ。一緒に捨てたな・チケット。紙類の中に紛れ込んでたんだね。チケット捨てちゃいかんよなあ。じゃあJRで行くか。ちょっと待てよ。あのバカ駅員が改札におるなあ。なんとなく気まずい。どうする。で、「考える」。

 1)無視して改札通る。
 2)もう一回中指立てて改札通る。
 3)「わっはっは、さっきのことは水に流せ・わっはっは」と言いつつ改札通る。
 4)「お邪魔しまん・にゃわ」でにゃわ・んとこで駅員がこけてる隙に改札通る。
 5)アホの子のふりして改札通る。

 大まかに5つほどオプションを考えたのだが、1)はあまりに大人げなく、ツーリストとしてそれはいかんのじゃないか。4)は駅員が「よしもと」知らんのではないか。その場合おれの「ひとりよがり」になるおそれがあり、収拾つかないとまた暴れ・暴言その他さらなる混乱を招いたりすんのはやっぱツーリストとしていかんのじゃないか。5)は最後の手段だが、さっきあんだけぼろくそに言うといて、今度はそれかい・とおれが自分につっこみたいよ。

 で、オプション2.5)と言うか、態度はHARSHで言葉はMILD・という「高等戦術」でいこう。よっしゃ、それいただきぃ!!!と盛り上がりつつもハラを決め、東仙台までのローカル列車各停の旅2520円也の乗車券を購入し、バックをがらがら引きずりつつも改札へと歩を進める。中指を立て、チケットを改札機にスルーさせ、駅員の方を向くと「あれっ?」替わってた・おっさんが。別のおっさんだった。で、宙に舞うおれの左手中指なのだけど、しょうがない、着地は「鼻の穴」ってことで。中指楽勝である。親指だって入るぞ・おれの鼻の穴・だはは。

photo_13.jpg「生活列車・のローカル線、「鉄」ではないけどAMOR」

 あーあ・つまんないことでエネルギーを浪費してしまった。仙台まではローカル列車ゆえ、2度の乗り継ぎである。一ノ関で一回、小牛田で一回。小牛田は「こごた」と読みます。約2時間半。しかし、こんな時はその時間が贅沢だと思う。このスロウさがいいのよね。3列車とも見事にみなさんの足で学生もおばちゃんもおじいちゃんも乗っている。それでも不思議に荷物も置けて座れた。ワカモノのマナーはものすごくいいです・岩手県。本日は、ちょっとした好奇心から、ゲストハウスに泊まることにしていた。民間のユースホステルみたいな印象があって、そういうことも若い頃したことがなく、こういうの一人旅ならではかな・と思っていた。東仙台駅から歩いて15分ぐらい・ということだったから、まあすぐわかるだろうと高をくくっていたのだが、これがまた。

 着いた時間が6時廻っていてもう暗くなっていた。それでもiPhoneのマップを頼りにがらがら引きずって歩くのだが、なんだか着かない。30分ほど迷って、やっと到着。いたひとびとが一斉に「こんにちはー」と言うから、「おいおい、場違いなとこ来ちゃったかな」と最初は思った。温泉では髭も一度も剃らず、延々帽子かぶってたから、髪の毛もえらいことになってて、そしてもうどう見てもおれが最年長なんだね。しかし、最近の「アウェイ好き」がこういう場でもチカラ発揮したりする。そしてなんかみなさん、ご自由な感じなのよね。で、聞けば、北は北海道から南は宮崎、歳も10代から40代まで、国籍も日本人・韓国人・アメリカ人・フィリピン人と多彩。関西人も数人いて、すぐに「なんやおまえー」みたいなことにもなり、まあみなさんといろいろ話しているうちに、多くの人たちは「VOLUNTEER」に来ていることがわかり、おじさん徐々にみんなを見直す・の巻である。浪人・大学生・フリーター・建築士とそれぞれが、ちゃんと意識を持って来てるんだね。ある人たちなど、クルマで100kmのとこまで今日も行って来たということだった。明日も行くのね。多くの方々が、なんと言うか、非常に控え目で、必要以上の高揚感も感じなかったし、それが「英雄的行為」であるなんて自己陶酔もないし、ただただ余っているオノレのエネルギーを少しでも役に立つことに使えれば・というような印象を受けた。宮崎の女子大生は、VOLUNTEERの詰め所のようなところなら寝袋持参で600円で泊まれるのだがシャワーを浴びにここへ来てる・と言っていた。そのうちにみなさんと知り合いになり・みたいなことだった。あまりにもいろんな人がいるから、話も少しずつしか出来なかったが、帯広畜産の大学生は、イザベラ・バードに興味を持ったし、建築士の方は今まで知らなかった東北の歴史に驚いていたし、最初は「VOLUNTEER」ですか・なんて訊かれて「いや・温泉です」みたいな一人だけ非国民な感じだったけど、まあ自分がわかってることを話しているうちに、みなさんそれぞれでいいんだよね・持ち場持ち場で・なんてことになり、後は和気あいあい。いいトポスをつくられましたね、加賀さんご夫妻。今後の健闘をお祈りしています。また・機会あればうかがいたいです。建築士の藤田さんも「思っておられること」ができればいいですね。鎌倉の浪人生たちも来年は合格を。宮崎の女子大生・結婚はアセらずに。山形のバカ女の彼女・大阪貴方に合いますよ。ロバート・仕事がんばって。バスで一緒に帰るはずの彼・なんかバス二台時間差あったみたいです。みなさん・またどこかで遇いましょう。

 久しぶりの二段ベットでアタマ打ちながら寝ました。おもしろかった。@ゲストハウス梅鉢

 DAY6  「シーベルトの街」
 

 朝・出る時、加賀夫妻だけでなく、一階に居たみなさんが見送りしてくれました。ありがとうございます。貴方たちに幸運が舞い降りますように。

 仙石線の苦竹からJRで仙台駅まで行く。重い荷物をがらがら引きずりつつである。しかし、東北は駅は秀逸。おれのようなチョー重いもの持ってる人にほとんどストレスを感じないように駅が出来ている。いたるところにエレヴェーターがあり、もちろんエスカレーターもあるが、99%バッグを持ち上げることはなかった。転がしっぱなし。そして驚いたのは電車が到着してもドアは開かない。乗る人がボタンを押してドアを開ける・そんな仕組み。おもしろいなあと思ってた。さて、本日はpara福島である。おれの旅行・今回は(今回も?)イージーからハードへと移ろって行く。
photo_12.jpg本日もクソ重し。しかし、多くのエレヴェーターに助けられた。

 福島までは新快速の4人がけのJRらしい列車だ。やっぱ、これがいい。窓のとこにお茶とか置いてさ。こういうちょっとしたことが旅情にふくらみをもたせるわけよ。仙台福島間は新快速ってこともあってか約1時間。さあ・福島だし、やっぱり、比較することではないが、一番心の中にさざ波が立つのが自分でもわかる。

photo_11.jpgこのスタイルでないと切ない。photo_10.jpg

 福島駅は西口と東口がかなり遠い。地下通路を通るのだが、数百メートルある。西口にも東口にもスーパーや土産物・書店等たくさん店が入っている。仙台ほど大きくないにしても福島の街もなかなか感じがいい。東口からは碁盤の目に路が延びている。まず、本日もレンタルチャリを借りて出発・したのだが、走っているとニコニコレンタカーがニコニコで2525円で6時間という看板に出会う。発作的に「ニコニコで行こう」となる。手続きをして、チャリを預かってもらって、久しぶりの日本車である。ホンダのLogoだった。旅先ではなんでもいいんだもんね。ていうか、積極的に「頼むぜ・相棒!!!」である。
??-2.JPGFIAT UNOみたいな感じかな。乗ったクルマで言うと。「頼むぜ・相棒!!!」

 地図で見ると福島第一原発方面にはR114だということがわかる。おおまかな道筋をニコニコレンタのにいちゃんに訊いて出発する。奥州街道からR114への左折はどこかなぁ・と思っていたら、三叉路で「HOTEL114」はこっち・と←が出てる。こういうのいいね。東北の路の印象はなんとなく掲示が不親切なのだ。どうも「おれらわかってっから、そんでいいべ」って感じなのよ。いやいや・そうじゃなくってですね、初めて来た人間にもわかるようにしてください・お願いします。一度は自分のクルマで走りたいと思っている。

 そしてR114に入ると、この路がまたおれの「大好きな」路なのよ。田舎道ながら山越えあり、ストレートありのほんとに走りがいのあるっていうか、大阪で言うと「箕面」とか「亀岡」行く途中となんにも変わりなく、R168の五条から風屋ダム辺りまでとも似てて、違いと言うなら両脇に押しやられた雪の絶対量だけ・という、ほんとに走るのが好きなやつなら「たまらん」路だった。
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 その路が「福島第一原発」へと繋がる路だ・という事実に最初は複雑な、そしてしだいにそれは哀しみや怒りの感情へと移ろっていくわけだった。「南相馬」とか「浪江」とかいう、みょーに見覚え・聞き覚えのある・変に有名になった街の名が掲示板に載っている。途中には郊外の街にありがちなスーパーとTSUTAYAの入ったショッピング・モールがあり、そこはまだ「非難区域」ではないのだな・ということがわかる。小学生たちが高学年・低学年混ざって一緒に下校している。なんかものすごくいい子たちに思える。なぜ、きみらがそんな目に遭わなきゃいかんのか・と思うとやや感情的にもなる。南相馬との分岐を過ぎるとまるでクルマがいなくなった。その分岐で停まっていた時、うしろの軽には老夫婦が乗っていて、その後部座席はもので溢れていた。その老夫婦は南相馬へ向かって折れていった。

 福島から35kmということは浪江まであと15kmくらいだったと思う。そこは完全な「ゴースト・タウン」だった。移転や営業停止の貼り紙が目立つ。家には洗濯物も干してないことから、人がいないこともわかる。
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 路肩に停めて、煙草を巻いていたら、前の家からおじさんが出て来て、不審そうな目でおれを見て、クルマで福島方面へと向かっていった。まあ一目見て土地の人間ではないとわかるだろうからどっちにせよあまりいい印象は持たれてないだろう。「この物好きが」みたいな。「このドロボーが」かな? パトカーが二台、浪江方面から帰っていく。他にはまったくクルマが走っていない。しかしね、そこにある風景とは、ほんとに無垢な田舎の風景なわけで、それはここがゴースト・タウンであるという事実との整合性にものすごく欠ける。だから、これが放射能の恐ろしさ・ということなのだね。もう少し行こうかとも思ったのだけど、ちょっと二の足が踏まれた。ゴースト・タウンがつづくだけなのだ・ということだけは、わかるからさ。Uターンすることにしました。
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 福島まで戻ると、大阪桐蔭と花巻東のセミ・ダルビッシュ同士のもったいない一回戦がニコニコレンタのTVでやってた。なんとなく花巻応援したくなってるんですね。そのときはまだ2-3でいい勝負だった。クルマを返して、チャリも返して、駅中にスーパー銭湯があったから、風呂入って、なんかカルく喰って・なんて思ってたのだが、「ちがうちがう」と思い直す。「地元の飲み屋」行ってない。チャリで帰ってくる時にメインの通りではない通りになんか惹かれる店があった。レンタルチャリのおっちゃんに訊くと、メインの通りを勧められた。一度はそっち行きかけたけど、こういう時は自分の嗅覚を信じるべきなのだ。で、おっちゃんの助言は却下。串焼きの店へと吸い込まれる。

 寒いから日本酒。浦霞・栄川・花泉とある。まあ最初は浦霞。昔よう飲んでた。懐かしい。そして旨い。串をいろいろ焼いてもらう。豚タンと鰻が旨かった。浦霞・あっという間になくなる。一杯目としてはこれほどつきづきしい酒があろうか。店の者たちにも原酒をおみやげに買ってある。貴重だよん。宮城の浦霞。酒造所やっと直ったんだからね。そして次は栄川(えいせん)の辛口という言葉に惹かれ飲んでみる。これまた・旨いっ!!!いや・ものすごく旨い。最初から最後まで飲み続けられる・そんな酒。三千盛をちょっと洗練しましたみたいな・と言えば想像つくだろうか。いやー・旨い酒・まだまだ知らないものがいっぱいあるねえ。うれしくなるねえ。もひとつおかわりして、どうも酒好きがバレたらしく(最初っからちょんバレか)、これ飲んでみる? とおちょこでもうひとつの花泉をテイスティングさせてくれる。そしたら・・・・これもまたまた・ものすごい旨いやんか!!!なんか、ずるい感じ。新潟といい、福島といい、「ほんとの酒どころ」の実力たるや、おそれいるわけだった。栄川と花泉はde福島である。そして、おれの悪口の矛先は灘へ向かう。ま・ほどほどに・ですが。これが今までの自分の旅だったなあ・などと一瞬懐かしくもあるわけだった。行った先々で店に飛び込んで、話してバカになって酔っぱらう。今回、そんなことはなかった。まあ「時代」が変わっちゃったからしょうがないが、でも、こういうのもないと寂しい・かなり。こんなんばっかりでも今やどーか・と思うが。でもないとやっぱ・いかんですね。

 福島ならではのいろんな話も聞けました。なぜ、中通りなのか。なぜ、浜通りなのか・とか、会津の特殊性だとか、東電のバカの失態とか。それはまた別の機会に・と思う。百数十年前に書かれたイザベラ・バードの著書とともに始まった、今回の東北への旅は収穫があまりにも多かった。いま、雪の露天風呂も浪江町へのR114もどちらも「夢」のような気がしている。最高の夢と最悪の夢・なのだが、実はどちらも「ド現実」なのだよね。おれたちは、まあ言うなら、イザベラ・バードの時代を引きずりつつも、P.K.ディックの世界を生きている・ということなのだと思う。そのどちらの世界にも溺れず、それらをすり抜けるもの、それは賢治の思想の中に随分いろんなヒントがあるように思えた。賢治の偉大さはあまりにも「とんでもなく」て、一言で言えるようなものではなく、しかし、それは北上川のあの場所がなぜ「イギリス海岸」なのか、なぜ「羅修地人」なのか、を考えることから始まるような気がしている。

 日本のことを考えるのに、もう東京や大阪は必要がない気がした。人を「変なもの」に変容させる変なチカラが働いていると思うからだ。熊野や東北を/から考える・そんな視点がますます必要になる・と思う。東北の人は控え目で真面目だ。熊野の人にも同じことが言える。そのパーソナリティはそれだけではないのだろうが。ただ、おれが知らないだけである。あの花巻の駅員のことをおれはくそみそに言ったけども、彼の中に「規則原理主義」と言った頑ななものを感じなかったのは事実だった。彼はただ、非常に融通のきかないまじめな人というだけなのだろう。融通が利きすぎるのも考えようだもんね。そうやって規則が形骸化していくわけで。恣意性の善し悪し。関西人はまあそんな人たちの集まりでもある。

 東北はチャーミングな土地だ。そして日本人の美徳がまだ充分生かされている土地だ。浪速のカエターノでも行きたい。もうこれからことあるごとに何度でも行く・とこゝろに決めてしまったのだ。<終わり>


posted by 浪速のCAETANO at 00:19| 大阪 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | ツアー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
> DAY6「仙石線の苦竹」、
オヤわたしそこに1年半住んでました、職場は仙台駅至近でした、……ルーストラップ中山ですけど、2000〜01年ごろのことです。東北イイっすよね、むちゃくちゃイイっすよね。

わたしが曾根崎DESに初めてうかがったのは2005年8月(カエターノ来日はその年の5月)、わたしが梅田新道の職場の行き帰りにお初天神通りを毎日歩いていたのは97年でした。

トドムンド改めレオンジーニョ、いずれまたお邪魔します(いつになることやら)
Posted by ナカヤマ at 2012年04月03日 00:14
ほー・奇遇だねえ。仙石線やんなあ。今・ぶちぶちやけどね。

もうそんな時間経つかー・など思えばはげも進むよなあ。

また・おいでね。まっとるぞ。
Posted by 浪速のカエターノ at 2012年04月04日 07:44
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