2012年03月26日

一転・奈良へ

 賢治の次は修司。

 奈良へ。

 雨が降っていたからクルマで行く。

 「コムゴン」にて昼メシ。フーティウと煮豚と高菜ごはん。いつものように、パクチーとのこぎりコリアンダーで責める。責める・って言うが自分で自分を「責める」。

 「いち」へ。

 いやー、しかし、なんというか、過去のことを「あなた・正直に話しなさいよ」と言われておれは話せるか?と自問自答してしまったのだが、「関係者がいなくなれば・・」とかいう条件付きなら・なんてことにもなるんだろうな。

 なかなか難しかった。しかし、何かを「隠している」のではないか・そんな気もまだする。「失うもの」を持っている人はそこらへん・難しい。気を悪くされると、情報源がなくなることにもなるから、「こっらぁー」とも言えない。言わんけどね。

 もう少しの時間と忍耐が要るな、と思えて、今日のところはこれで引き下がるしかないな・と思った。機会があれば次回。いや・機会はあるでしょう。

 風呂も入らず、旅館で寝る。

 旅館の朝メシが久しぶりで、楽しみにしていた。なんつうことはないものでも何か「特別」な感じってないですか、旅館の朝メシ。

 あぶなかった。アホの三杯メシ寸前で、ストップ。自制が効いた。アホ寸前の巻。

 で、旅館を出て、ひさしぶりに「あそこ」へ行こうと思った。

 天理市役所を東進すると、それはすぐなのだが。

 みなさんは、日本書紀のことをどう思われているのだろうか?

 国の「正史」である日本書紀。まさか180歳の天皇が古代にいた・なんてことを信用しているのだろうか?

 津田左右吉氏の言うような「うそぢゃ・そんなもん」という意見もある。

 どちらも「極論」のような気がしていて、ひとつひとつの真実はその両極を含むSomewhere in betweenなのかも・ぐらいのスタンスがよいのでは・という気がしている。もちろん、架空の人物多し・なのだけど。

 その正史である日本書紀(古事記でさえも)が無視している人物がいる。いや・無視ではないな。その存在を「神として」認め@古事記、またニニギノミコトとは別系統で「降臨」した物部氏の祖として描かれている。まあ霊長類の進化でいうなら「ネアンデルタール人」のような扱いをされている。それが「ニギハヤヒ」と言われる人物である。

 『先代旧事本紀』においては天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊」(あまてる くにてるひこ あまのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)と呼ばれ、下線部注目していただきたいが、彼こそがリアル「太陽神」ではなかったか・という説がある。天照大神は女性ですからね。オトコの陽・オンナの陰、ことわっておくが、これは古代も古代の話で、今の法律・風俗・感覚、そんなものがなかった時代の話なので、フェミニストのおばちゃんに「なんやとー」なんて言われたくないです。

 そのニギハヤヒなる人物、実は「スサノオ」もアマテラスの弟ではなく・実在の人物とする説があり、そのニギハヤヒはスサノオの末子であるという。当時は「末子相続」だったのね。

 日本書紀も「ある意味では」認めているニギハヤヒの降臨、そしてそれが物部氏の祖・なる人物で、畿内の最初の「都・的なるもの」が天理近郊に出来た・という説、そして物部氏が古代の神道・そして戦・を司る氏族であったという事実、それを考えていくなら、つまり政治が「政(まつりごと)」であったことを考えるならば、ニギハヤヒが最初の「大王」そしてその後「カミ」となった・としてもあんまり噛み合わせわるくないのね。

 古事記によれば、神武を生駒で退けた「ナガスネヒコ」の信じる神がニギハヤヒで、しかし、神武が熊野から攻め上った際には「はい・どーそ」と権力を譲り渡したりもする・なんか「人のいい神」だったりもする。ここんとこ、「お話」なのでにわかには信じられないとこだが、「お話」を作る側が記紀ともに「どうしてもその存在を無視できなかった」という事実は「ニギハヤヒ」の存在がリアルだった・ということにはならんのか・とおれは思ってて、記紀神話というのは、ニギハヤヒの系列に「接ぎ木」をして成立させようとしたのかな・とも考えられる。あまり上手い接ぎ木ではない気がするが。

 その後、本格的な「都」といってよい纒向遺跡の(3世紀初め・これがヤマト王権だとされている)・神は三輪山であったが、そこにその後神として祀られた「大物主命」とはニギハヤヒ・その人である・そうも言われる。

 神武=崇神とする説が今はほぼ常識となっていて、九州から「神武=崇神」とされる人がやってきたとしてもそれはその後のことで、さらにその後、応神・仁徳の河内王権によって再度、上塗りされるわけだから、この場合の上塗りは「征服」ということだが、王としての「万世一系」はすでに成り立ちはしない。それと、現代に於ける「天皇」という人の立場と価値はまた別であるとおれは思う。人はみんな・極論「右翼でも左翼でも」あるんぢゃ・ね?と言っておく。

 さてさて、そのニギハヤヒを「祖」と頂く、物部氏の「石上神宮」なのだが、「神社」じゃないのよね「神宮」である。こんなことから、いろんなヒントがぽろぽろ。「伊勢神宮」「明治神宮」・んでもって「石上神宮」、明らかに、これは「天皇・あるいはそれに値する人物」との関連を示唆する。そう思えます。

 そんな石上神宮へ、ぴゅー・っと。何十年ぶりなんだろう。近くにありすぎると・なんかな、ってのの典型。
photo.jpgphoto_1.jpg参道〜鳥居・見たらわかるか。

photo_5.jpg本殿はなく拝殿のみ。この後ろが「禁足地」とされ、それが本殿の代わりである。

 それから梅でも見るか・と月ヶ瀬と向かい、月ヶ瀬で風呂入り、R163を大阪まで走る。久しぶりに走った。寒かったから屋根は閉じたまま。もうすぐオープンにできるだろう。

 でも、あれですよ。R163を走ると木津川が、奈良への「交通」に多大なる寄与をしていたことがよーくわかる。当時の水上交通の価値がよーくわかる。
photo_8.jpg月ヶ瀬梅渓へ。

 月ヶ瀬への路はアップダウンが心地よく、五月山走ってるみたい。楽しかった。楽し過ぎて、ミルクマンの映画トークに間に合わず。ごめんね。

 こう考えると日本人って、過去のことなぁんにも知らずに、目先のことに追われて生きとるな〜・と思うわけだった。それが一般的と言うならそうなのだが、それでいいのかね。まあ、おれも目先のことに追われまくられてるけど。

 

 
posted by 浪速のCAETANO at 13:03| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ツアー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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