2012年10月08日

ヒトの絡みとは

 ヒトの絡みとは複雑なようで偶然も内包して、ちょっと前には考えられなかったような・へんなところで変な関係が出来てたりする。

 世間が狭い・という言い方があたっているかどうか? 少し違うような気がする。

 この2日間・ずっと移動していた。移動しながら、中上ヨメの本を読んでいた。熊野には今・諸事情で行けないが、こゝろは熊野へ行っていた・確かに。その移動距離と時間を換算するなら熊野往復ほどにはなるのだけど、ちょっと主旨が違う。行く・のと行かずに思うの・の違い。全く別次元の事である。

 玉置山という山がある。玉置神社という神社がある。「奥熊野」とも呼ばれる。二度ほど行ったことがある。一人で・と二人で。熊野三山のある意味「開かれ方」とは異なり、ものすごく閉鎖的な印象がある。クルマを止めて下っていく。結構な距離だったと記憶する。

 まず、土地のもの以外は行かないだろう・そういった社である。十津川から下ってR168を左折して入っていく。

 最初行った時は蜂につきまとわれた。おれを刺すでもなく、ただまとわりつかれた。危険な感じは不思議な事にしなかった。何かの使いか、それとも何か・そのものか、そんな印象がある。一人で行ったことがポイントだったのかもしれない。次のオンナ連れのときはそんな気配さえなかった。

 熊野に行幸する際には、熊野三山だけでは片手落ちである。この玉置神社、そして新宮の神倉神社・阿須賀神社、合わせてこの六社である。新宮だけで三社あるからそこは楽だが、本宮と那智と玉置はやや骨が折れようか。まずどれも遠い。R42からどれもクルマなしでは無理である。

 日本の神のことを考えていくと、この熊野をどう位置づけるか・そこがたいへん難しい。

 もちろん神・としては神武以前からなのだが、それが表面化するのは神武以降だ。

 おれは、こう思っている。

 神武の大和侵入の際に葬られた、銅鐸国家(ニギハヤヒの国)その神たちを祀っているのではないか。神武たちのポイントは二つ。最初は大和侵入。その際に八咫烏・高倉下といった機を見るに敏な、銅鐸国家の中の裏切り者たちの力を借りている。そこでの銅鐸国家中心部における殺戮の犠牲者たち。もう一つは十代崇神の時の外部への拡張時の殺戮の犠牲者たち。そしてその者たちの神とはニギハヤヒである。アマテルクニテルヒコアメノホアカリクシタマニギハヤヒノミコトという。もう一人の天孫族。

 それしかないのでは、と思う。ニギハヤヒがどこからきたのかはまだ勉強中だが、その時代とは九州のヒミカ(卑弥呼)の時代より前である。そして、おそらくニギハヤヒはスサノオと血の繋がりがあり、スサノオはオオクニヌシと血の繋がりがあると想像されるから、それが正しければある意味、こちらの方が正統とも言えるかもしれない。アマテラスの一派は力ずくで権力をオオクニヌシから奪ったのだから。

 神武一派が時間をかけて蹂躙した銅鐸国家はある意味「宗教国家」であったと想像できる。宝物が武器ではなく「銅鐸」という鈴というかカウベルというかそんなものだから。銅鐸でラテン音楽をやったらみたいなことをすぐ考えるおれはアホだが、しかし、そこあながち間違いでもない気がする。元の使用法としては。

 いやあ、久しぶりに熊野ことをリアルに感じ、そして考えた。後白河よりは少ないが後鳥羽よりは詣でてるおれとしては、土地勘はかなりあるから、熊野の物語なら想像の話というよりは自分がそこを実際にクルマや足で通過している・そんな気になる。

 中上ヨメ・おそるべし・だった。さすがです。

 
 
posted by 浪速のCAETANO at 15:00| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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