2012年10月14日

2012は

 2012年は戦争の年か?

 そんな気がしている。それ・ヤバいからヤメよう。ヤメようよ。でも始まるのは秋から冬。こんな予言当たらなくともよいが、条件が揃ってきたから。アメリカのゴーサインは出ている。国内はターン トゥ ザ ライト。

 センカクでの小競り合い→総選挙→安倍政権→改憲→核武装→本格衝突。おおまかにはこんなことだと思うが、日米の軍事訓練がなんかヤバかったな。島を取り返す・なんてタイトルね。マズいね・あれ。どの段階でも最後の本格衝突に至らず引き返すことも可能なのだが、一旦転がり出すとわからない。だから最初の小競り合いがその方向性を決める。都知事はA級戦犯となるかもしらんですね。

 どこの国にも戦争をしたい人々ってのがいる。そいつらは「オノレ」は戦わないのね。戦争を「決める」のね。軍人ですらない。しかし、一旦そう決めたなら後は軍人の世界。軍人は命令する。軍人自体も実際に戦うってわけでもないね。戦うのは兵士だからね。前線で。最初に死ぬのも彼ら。

 社会主義中国が相手ではないが、日本はというか「倭国」は唐・新羅連合軍と大戦争をしたことがある。西暦662年のことである。

 白村江の戦い・と云われているものである。この主体は九州王朝である。中大兄皇子ではない。九州王朝は「倭国」であるが、それは列島の、唯一中国に認められている王朝だった。旧唐書によれば、卑弥呼よりもっと前、金印を授けられた倭奴国の時代からずっと続いていた九州王朝「倭国」と近畿王朝を意味する「日本国」を別種のものとして記録している。日本国が記録されたのは7世紀になってからのことである。倭国の使者と日本国の使者が中国で「モメた」なんてことも記録されている。九州王朝には阿毎多利思北孤(アマタリシホコ)という、後の聖徳太子捏造のモデルとなった「天子」がいて、この天子・というのは「中国」に一人しかいないはずのものをプライド高き阿毎多利思北孤が「同等である」として煬帝に送った親書に書かれていた言葉だが、その高いプライドが後に九州王朝を滅ぼすことになる。白村江の戦いは100年ほど後だが。

 当時の倭国は朝鮮半島にも領土があり、これが「任那日本府」と後に近畿王朝の側から名付けられるものだが、新羅と境界を接していた。そしてことあるごとに新羅と戦っていた。高句麗の広開土王の碑文にもそれは明らかだが、どうもある時期から「大倭国主義」の国になったように思える。それより前の時代の倭王武(雄略天皇とされているが、それはウソ)は広開土王と何度も戦っている。

 どの時点から、そのようなあまりにも「誇り高き」姿勢なってしまったのか、ここは想像を働かすとこであるが、仏教をいち早く取り入れたことが大きかったのでは・とおれは見てます。仏教のある意味「平等」の観点がただ一人の「天子@中国」と矛盾すると考えたのではなかろうか。卑弥呼が「親魏倭王」の地位に満足していた頃とは明らかに異なる。

 その白村江の戦いにおいて倭国は四度戦い、四度負けた。さらに悲惨なことに倭国の天皇が唐に捕えられた。しかも8年間もよ。その天皇の名は薩夜麻。天皇不在では国がモタんですよね。そこで日本国に滅ぼされた(併呑という言葉がつかわれている)。

 戦争はロクなことがないです。今も昔も。
 
posted by 浪速のCAETANO at 17:23| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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