2012年10月20日

ほぼ週に二回

 ほぼ週に二回、少路の神社の/からの写真をFBに上げているが、本日みなさん無反応である。もうええっちゅうねん・てこと? おそらくそうなのだろう・くくく。

 しかし、反復はチカラなり。なんのために? だはは。ただ、FBって「自己主張の場」じゃないからさ。

 そこが「一番のトピック」なんだがなあ。趣味の違い・ね。まあ・一般受けとは縁の遠い人生もかれこれ10年?20年? このPOPがすべてな時代になんでまた? ですね、くくく。意外と飽きないのね、おれ。つまんないことには飽きっぽいくせに。

 ポップ・ポピュラー・ポピュリズム。馴染めんなあ。なんかナメられてる気がするわけよ。なんでなん? 乱暴でなかったポップの時代を知っちゃってるからだろうか。

 そうでないものには、良質の・なんて反語的枕詞があるぐらいポップとはある時期から質はダダ下がっていた。ベイシティローラーズなんてのが出てきた時代からだろうか。エス・エー・ティユアー・ティユアー・デイっ!!!ってなんやねん。中一か!!! あるいはYMCAぐらいからだろうか。そのようなテーノー・ファンを意識したテーノーソングがこれまた売れたわけだから、「時代は潜在的にテーノー」だったんですね。ばがを「消費者」として位置づけてみるなら、「やったー!!!!」だったわけね。ある意味「画期」だったね。

 そこから新自由主義までは一本道。あれよあれよ・といった感じ。

 「大衆社会においては均一化・画一化されたヒトはマスメディアによって作られる流行に左右され、そのことによりさらに個性・自主性が失われ、人間関係が薄くなり、ひとりひとりは孤独な群集・となり、さらに管理が進んだ社会では閉塞感にとらわれ易く、そんな中、カリスマ性を持つ人物に頼ろうとする。そして、ファシズムの可能性が高くなる」

 と、アホ高校の現代社会のノートに書いてあった。それで試験用のプリント作ったんだけど、彼女ら、この文言の中にオノレらがどれくらい「含まれてるのか」わかってんのかなあ・と思う。


 おそらく「わかっちゃいない」のは彼女らだけではない。週刊朝日・のことに関して思うことは、もし彼をヒトラーに喩えるのであるなら、その「政治家(芸能人じゃないですよ)」の人格に危険を感じているのであれば、そこは一般論を適用するべきではない。ヒットラーに喩えている側の人間が、一般論的に佐野さんを批判するのはおかしい。そして「ヒットラー」に喩えているのであるなら、その人格を形成した要因を分析することのどこがいけない?

 佐野さんはこう書いている。「この連載で私が解明したいと思っているのは、橋下徹という人間そのものである。もし万々が一、橋下が日本の政治を左右するような存在になったとすれば、一番問題にしなければならないのは、敵対者を絶対に認めないこの男の非寛容な人格であり、その厄介な性格の根にある橋下の本性である。そのためには、橋下徹のルーツについて、できるだけ詳しく調べ上げなければならない

 佐野さんへの批判と云うか非難と云うか・をしている方々、なんとなく「貴族的」な気がしている。そんな態度が「今の状況」を生む遠因かもなあ。佐野さんの、市長への批判は、おそらく「どちらにも痛い」はずであって、そんな批判以外に批判とはありえないものである。おれはそう思う。

 辺見庸さんがこうおっしゃっている。「橋下徹はテレビがひり出した汚物である」
 

posted by 浪速のCAETANO at 14:27| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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