2012年10月29日

ただただ寿司を喰うために

 ただただ寿司を喰うために、富山へ行く。昼酒・昼寿司。昨日も今日も。

 酒は勝駒。たまに髭の男と行く市橋で、発見して以来、機会があれば飲む・貴重/ 稀少な酒である。地元にはやっぱりあった。

 ローカル線で砺波〜高岡〜富山と移動し、あるいはチンチン電車で用もないのに越ノ潟まで行き、また意味なくフェリーに乗り、対岸から富山までバスで戻る。何してんだか。

 バスからは立山連峰が見え、奥の方の峰峰には雪が積もっている。北陸の閉ざされた感じ・と昔は思ったのだろうが、かつての表日本の認識が勝っている今は、アルプスを背景に、海を臨み、そこから大陸・半島へと思いを馳せる。充分に「開いている」。中国語と同時にロシア語もフォーマル文書には載っていて、フェリーに乗る際、ウラジオストクへの密入国を幻視した。

 白エビも喰った。そんなに感動があったかと云われれば、まあそうかも・というにやぶさかではない・そんな感じ。地魚と云えばまさに地魚なのではある。立山からの水の産物と大将は言う。そのポイントにしかいない・となれば、そういうことなのだろうね。「山が海を作る」とはよく言われる。熊野などもそのサイクルが絶妙な土地であるし、ただ日本海側は列島の形状からその山の水が拡散せず一カ所に留まるというアドヴァンテージがあるみたいだ。そんな偶然はウェルカムなのであって、もうすぐ揚がり出す氷見の鰤ともども、是非地域振興に一役買っていただきたいと思う。当日は奇しくも知事選だったみたいだが、無風な現職三選のやはり地方都市は自民党なんだなあ。しかし、富山市の総曲輪という繁華街は長い商店街だが、ぽつぽつとシャッターが。

 一日は高岡の、次の日は富山の寿司だったが、どちらも小振りの江戸前で、地魚がやっぱ一番贅沢だな、値段ではないな、店の外観でもないな、そんな風に思う。

 高岡と富山に滞在していたが、高岡は人の意識は加賀の一部。富山は越中。廃藩置県の雑なとこね・これ。
高岡の人はそんな屈折もあってか、心のうちを明かさないんだと。一向一揆の弾圧の影響もあるのでは・など思ってしまった。など勝手なことを言ってるけど、酒の旨い土地はRevisitしたいと思う。最近の酒の発見はこの勝駒と福島の栄川だが、年に一度くらいは酒飲みに行きたい。その土地の食い物や米とともに飲むのが良いと思うからさ。

 家では米をほとんど喰わない。しかし、こないだ店長が新潟から新米をゲットしてきてくれたヤツがあって、これをいつ炊いて、なんで喰ってやろうかな、と思案中である。デパートいってこなきゃ・ですね。

 新米・新蕎麦・そしてもうすぐ新酒・であるよね。

 
posted by 浪速のCAETANO at 10:23| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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