2007年01月06日

なんでまた・の連鎖

 犯罪のエグさ・意外性を競ってどうするのだろう。

 もはや家族同士の殺し合いはこちらも感覚がマヒするほど頻発しているから、その「事の重大さ」に反して感情はこちらの精神を守るため動かさないようにしているが、その犯罪の状況が痛すぎるわけである。
 もっとも親和性のある家族内での殺し合いは、その前提となる親和性がなくなっている・というよりも、親和性があるがゆえにそれはあるとき見事なまでに憎悪に変わるということなのだろう。そのベースになる感情は「甘え」かと思う。見ず知らずの他人にはとてもじゃないが言えないような罵倒を家族のだれかに言ったことはないだろうか?
 よく相手をわかっているからこそ、「的確な罵倒」が有り得る。その的確な罵倒は的を得ているが故に相手も自分も深く傷つくことがある。愛と憎という感情は裏腹というか根っこは同じものでそれは「相互理解」に基づく。正確に言うと「相互理解してるつもり」ということなのだが、その・つもりで罵倒できることが「甘え」なのだろう・と思う。
 写真に写る妹を殺した兄という人物は、何一つとして外向きのアウラがない・という印象を受けた。妹にも散々的確な罵倒を受けていたと思うが、不思議なのはそこまでの犯罪をやり遂げる「変なガッツ」があるのが不思議である。幼女誘拐殺人のあの奈良の男にしてもそうなのだが、そのとき彼らは「ヒト」ではなくなっとるな・という気がする。そんなニンゲンが次々に現れ、それも犯罪が現れると予想できない場から次々に現れ、そしてニッポンはなんだか「変な危険のある社会」なっていっている。ニンゲンの全体性をそんな回復の仕方しなくてもいいと思うのだが、今のやつらを取り巻くゲームやらJのPOPやら、TVのバラエティやらクソドラマやら映画やらすべてがそんな・犯罪者ではないはずのニンゲンを犯罪者にすることに加担しているのに早くみなさん気づかないと、次はチミの番かも知らんぞー、とホラータッチな終わり方で〆たりしてみた。
posted by 浪速のCAETANO at 12:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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