2013年11月30日

TO THE YERY END

日本は発展途上国・と言って悪ければ、民主的手続きが前近代的なまま経済だけが肥大したいびつな国・と言うのが正しい。そう思う。

首相はアホに支持されてると思う。嫌な言い方をしてみる。B層にその政治的権力を依拠してる。

支持する人びとの意見がいつも根拠がないからだ。おっさんのアイドルと言うかマスコット・キャラ、そっち方面の。そんな感じ。逆に言うなら、「ハートを掴んでる」とも言える。

市長がかつて「学者になにがわかる」と悪態をついたことがあったけど、それに近い心情なのかな。思考を止めた人たち・とも言える。孤独をそれで補完してるという面も見える。

ではその孤独はどこから来てる?ということになるが、それは間違いなく「資本主義」から来ている。というと社会主義がいいのかとケンカ売られたりするかもしれないが、ことはそう単純ではない。どちらか一方を選べ・というのは三角関係の「複数の側」の論理で、そんな場合どちらを選んだところでろくなことにはならない。
AかBか・ではなくAでもBでもないCを選ぶ・のがいい。Cにもいろいろあり、詰まる所状況に変化なし・なこともあるだろう。あるいはDに近いCもある。A・Bを置いてどっか行ってしまう・という選択だ。三方三両損・得はなし。画期的だが、この案のいいところは誰もが過去に「実線」を引けること。カオルちゃん(カオリーニョ)か!おれは過去にそんな「酷いこと」は出来ないが、辛苦平等という考えは「悪くない」と思う。

一夫一婦制・めんどくさい。おれは三人と結婚できてそのお相手も三人まで結婚できて・というデノビュラ人のsystemがいいのではと思います。

社会的にはでもAよりのBとかBよりのAしかないのよ。それを状況にadjustしながらステアリングに遊びを持ちながらワインデイング・ロードをコーナーをクリアしていくしかない。柔軟性が要る。柔軟性がない。首相と支持者。柔軟性が「めんどくさい」そんな印象さえある。思考停止が究極の目標なのか・そう思える。柔軟性の真逆を目指す・が今の流れであって、それは政治家のバカタレント化の時代を象徴してはいるとしても、国家運営がそんなバカタレントレヴェルでいいはずがない。

それのしても国家の2TOP・それはおっさんの漫才師なら中の下ぐらいだが、2TOPとしてはギャグみたいなものだ。悲惨だ。

戦前と確かに今は似ているがただ一つ決定的に異なる点を忘れていた。

戦前は何処かの国の「実質的・植民地」ではなかった。そこ。

おそらくそれは周り見えてないのは問題だが「誇り」と深いリンクがある。村上龍が表現しようとしたことはそのことだと思うし、しかしその結論がいつもうやむやなままで終わることからおそらくおれたちは忘れているのだけどね。

そう考えると今の立ち位置・とはデッドエンドもデッドエンドということになる。

we are on the dead end street and very close to the very END.ということだ。
posted by 浪速のCAETANO at 14:47| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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