2014年03月10日

録音-1

土日が「完全フリーなオトコ」だったので久しぶりに録音。

世に蔓延るDAW系の人々とは異なりおれの録音は「超アナログ」。リズムマシーン以外は「手」です。だはは。

揺れがないとイヤだから。仮ギター、仮歌、ベース、本ギター、乗っかるギター、キーボード、だいたいそんな順序でやっていく。一つの楽器の揺れを次の楽器で補正し、その二つの楽器による揺れをその次の楽器でちょいと修正、そうするとその揺れは「ノリ」になっていて、もう次のリード楽器の頃にはバックでうねりを持った「groove」にまだ格上げされてる、そんないいバンドが「マルタニカズ'ズ」だった。もー、自分がいっぱい欲しい。一種の魔法とも言えるけど。

今回の2曲はFUNKのgrooveに出来上がるように予定してたから、ベースラインとカッティングのギターがポイントだった。シンコペーションを、つまり8分音符のアタマからどれだけウラに振り分けるか、を上手く使うのだが、ギターとベースのそれぞれの8分音符の選択肢はアタマとウラを全部弾くからどちらかを弾く、そしてどちらも弾かないまで各々4通りある。だから4×4でひとつの8分音符に16通りあります。8分音符というぐらいだから、そいつがあと7つありそれが一小節を構成している。だから一小節の音のシンコペーションの組み合わせは16の8乗なんていう、計算機が「もーそんな桁数ないし、おえりゃーせんのう、ごめんしてちょ」という岡山弁の世界
になる。それで一小節。BPMーbeat per minuteー120のミディアムテンポの5分の曲でも一小節が2秒で150小節ある。そうなるとかなりの天文学的な「選択の連続実践」を強いられていることがおわかりになると思う。選択、それも瞬時の。人生は洗濯じゃなく選択。洗濯も大事だけど。

それがgrooveを形づくり、よく音楽のジャンル、とくにビートに関して「情緒」で語ってるヒト、いるけど、それは間違い。ビートは情緒では語れない。というか、それは「正確ではない」。ビートはあくまでも「厳格」。おれが言ってるさきほどの「揺れ」に関しても8分でだめなら16分でだめなら32分でだめなら64分、というように細分化していくなら必ず説明できる。そこは原理的な話。それをそこまでアタマで計算せずとも感覚で処理できるというのがすぐれたミュージシャンということ。匠の世界、そこは。

plus、音階の世界がある。これも今はPCがあるからなんでも処理できる。ピッチ調整とかヘタを平準化できる。ただね、そういうのを多用するとまさにベンチマーク線上の音しか出来ないのね。おもしろくもなんともない。厳格さは必要だけどあまりに厳格で固定すると清潔なウンコ、そんなものができあがる。これどうしようもないのね。できあがった結果は情緒、情感、興奮、そんなとこに訴えるものがなくてどうするよ。秘密は、ビートの厳格の自覚と最後の作品化の間にある。音楽をプロデュースする人間はそこをいくつ持ってるかできまる。

業界で仕事をし続けてきたわけではないけれど、時間が許せば今までもずっと音楽を作ってきた。このスタンスは変わらないのだけど、自分にとって面白いことしかやらないしできないんだからしょうがない。

今回の2日で2曲は「すっぽんぽんズ」用でした。披露できるのを楽しみにしてるししといてくださいね。ちょっと練習させなあかんけど、今回のは。
posted by 浪速のCAETANO at 14:22| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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