2014年04月28日

葬式を終えて

葬式はエネルギー使う。誰の、であっても。

久しぶりの動物霊園は、霊園らしさが増し、ちょっと芝居がかってきてて、なんかな、だった。おれたちの担当のやつがそうだった。安もんの「泣かそう感」そんな醸し出さんでいいです。ま、「営業」の一環かとは思うのだけど、ネコ葬式ヴェテランとしては、過去からの流れを知ってるからね。もっと、シロートぽくて、ただ一生懸命だけでいいのよ。マニュアルだな。マニュアルに忠実なほど、こちらの「ケツかいい度」高くなるからね、まではマニュアルには書かれてないのよな。

しかし、いつも思うことだけれど「Breathing deeply,Carbon of GINA will make part of me」だ。呼吸は待ってる間深く大きくなるものだ。GINAの身体を作る小さな粒をおれはできるだけオノレの体内に取り込みたい、そう思うの。GINAはおれであり、おれはGINAであり。そう考えると死とか生とかの境はなくなり、永遠の分子原子の循環の中に意識は入り込み、穏やかな気持ちになれる。たまにはそういうことを思い起こさせてくれるのが宝塚であったりする。高台というのも関係あるかな。

しかし、ちょっと疲れた。sub当事者で、当事者のケアと当事者の痛み両方の二役はね。GINAが亡くなる日の宵の口、店長の部屋でアイマスクをしてGINAの尻尾を触りながら寝ていた時、下で「バカわらい」が聞こえつつ、夢を見ていて、その夢の中でもまた夢を見ていて、その夢はどちらもその時の現実=GINAが危篤、から始まる夢なのであって、なんか見事に出演者も近所の身近なやつらばかりで、一番奥の夢から覚めてもまた始まりはGINAの危篤のその部屋で、そしてある時、「これは夢である」と確信し、なのに、その中で無茶することが躊躇われ、なんか惜しいことをしたのだった。

いきそうでいかないGINAの純化された浮遊する魂の波動がヒクヒク動く尻尾を通しておれの精神にちょっとした「いたずら」をした、と思っているが、悪い気はしていない。ネコとか人間とかじゃなく、種の違いを超えたイノチというかSPIRIT同士の触れ合い、そんな気がしている。哀しみとかなかったな。なんだろう?感情からも解放された、SPIRITそのものを垣間見たのかもしれません。new ageとかにはなんの興味もないけれど、この手の特殊な時間帯の、そして、意識が消えて欲も計算もない状態の人間以前ともいうべき精神状態に戻ったようなとでもいうか、いい経験だった。ありがとう、GINA。

店長が、「うーちゃん、キキちゃん、ぺろちゃん、そしてまるちゃん」の塔婆を見つけて面白がっていた。おれは「なんでやねん」な気持ちだったが。

骨を何欠片かもらってきてる。おれは歴代ネコたちの隣にっそれを置いておれなりの供養をするつもり。
posted by 浪速のCAETANO at 18:26| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | TODO O MUNDO | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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