2014年07月07日

台風接近

すんごい台風が来てる。昔は台風が好きで、ガタイのいいマンションに住んでたこともあって、被害からは程遠かったからなのだが、実家がやや心配なのだった。実家の二階はそこだけヒョロリと周りより高い。 進路にもよるが東とか西の暴風に面積広い方が直撃されるとちょっと大丈夫かな?案じている。

910hPaってなあ。みなさん顔の体積1.3倍ほどになるよね。友人の女性に気がかりな方がいらっしゃる。なんとか家もその方の顔面肥大も事無きを得ること、それだけを祈る。

それが行ってしまうと梅雨明けなのだろうか?もう一波乱ある気もするけど。今現在は「温暖な時期」みたいですね。CO2とは「おそらく」関係ありません。

今、おれがいる場所、それはかつて、と言うか以外と最近まで「海」だった。それから湿地の時代が続き、梅田界隈が「埋めた」てられ、中「津」もまた陸地になった。大阪城の東っ側、今でも運河の多さがそれを物語っているがかつては湿地帯だった。だから大阪城は「攻めにくかった」というわけだった。

河内湾が河内潟から河内湖へと変容していくのは淀川が運んでくる土砂以外に、日本列島の隆起があるらしい。氷河の溶解による重しの不在により高緯度ほど隆起したらしい。アイソスタシーね。それも2mだと言う。一気に陸地へ、である。ただ、天満ら辺が陸地化した理由はまだ分かんないって。

アースダイヴィングな話って面白いですね。

河内湾の時代に神武が最後の駐屯地、吉備から淡路島の南を迂回して鳴門海峡を通って(速水の門)を通って、上町台地を船を引いて横切り、河内湾に突入し日下に上陸したものの、長髄彦に敗れ、兄の五ヶ瀬を失い、その際逃げる時に通ったのが上町台地の北端と今の新大阪の間のちょっとした隙間でそれが「南方」。古事記に出てくる南方とは風俗、飲み屋地帯の西中島南方でした。面白いですね、とっても。おれはそう思います。

本居宣長はこれを「南方=なんぽう」と読んで ? だったわけですね。河内湖、南側は塞がってるからね。

期末テストなのだが、今高校生が2名日本史の古代をやってて、これがおれには拷問で、なぜかというと、「嘘まみれ」が正解になってるからなのだが、ほんとひどいです。

聖徳太子のウソから始まり、伽耶のウソ、磐井の乱のウソ、国造のウソ、継体のウソ、遣隋使のウソ、白村江の戦いのウソ、ワカタケルのウソ、太宰府のウソ、仏教伝来のウソ、大友皇子のウソ、そのウソだらけの日本書紀に準じた歴史を教えるのはおれには苦痛で、しかし、これウソやけどな、これもウソやしな、と何度も何度も言ってる自分が情けない。で、もう市販のプリント、コピーして、これでなんとかして、と放った。

ようこんだけウソにまみれたな、おい。どうせやったら神功皇后の新羅征伐や、岩でお大丸1️んこ押さえつけて応神の出産遅らせたとか仲哀の九州征伐や応神のパパは武内宿禰でした、とかまで入れてみろよ。などと、荒井注になる自分もいる、というわけ。でも、いつまでもそんなウソ、通んないよ、いや、まぢで。いや、書記に書いてあるから「事実」というのであればだよ。これはうそで、ここは事実って誰が決めるわけよ?意味分かんないぜ。

天皇を巡る状況は三重ほどに「よれて」おり、現在の「善き人」としての天皇家、そして現.・王としての機能はいかに象徴とはいえ、まことに意味があり、おれたちを救うものとして否定されるものではない。政治のひどい今では余計にそうであって、陛下が、象徴ながらもその政治的に不自由な身を呈してバカ政治への盾になられようとしている、そんな印象を受けます。

ただそれと歴史的な真実とは「別の話」である。正史が偽史であるのもさらに「別の話」だし。

posted by 浪速のCAETANO at 18:23| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック