2014年07月29日

SNS、うーん

FBやTwitterではどうも、SNSではどうもオノレの主張のようなものは馴染まない、と思っていて、なんでだろ?と考えたがやっぱりそこは「世間」なわけで、空気が支配する、それはあんまり好きな世界ではなく、そうなると、この場がすごい大事で、この意識の上でのスペースがあって良かったと思う。もしこれがなくて、そういった飢餓感をもったまま、SNSしかなかったらと思うとゾッとする。この駄文の場が自分を文字通り「救って」くれている。

いろんなモノの「保存の場」でもある。瞬時の考えや、もうちょっと持続するコンセプトから歌詞まで、ここに保存しておくなら、まあそんなヤツは世界に5人もおらんとしても「おれ」を知ろうと思った時にはここへくればいい、そんな意味でもこの残りの1MB強の「字だけ」の場、大切にしたい。最近は「絵」を一切あげないが、それは残りが1MB強しかないこともあるが、そういったmedia mixの雰囲気勝負がSNSのお手軽さのいいとこでも悪いとこでもあるよなあ、など思うから。

日常のことで言うなら、なにかしらニッチを探すことはもう無意識にそうするみたいなとこがあって、しかしやはりヒトは極力嫌なことからは距離を置きながら生きていきたいと思うのね。

ガザの子供達のこと、子供に限らず、およそ毎日「処刑を待つ」かのような恒常的な恐怖を味わいながら生きている人々のこと、そんな重いことをそれらしく数行で「書けてしまう」とこになんか引っ掛かる。いや、おれが勝手に引っかかってるだけで、どなたの批判をしているわけでもないの。批判の対象は敢えていうならそのシステムそのもの。おそらくmeritを感じて使ってる方多いと思うのだが、やり続けることの義務感が世間では大事なので、そんなことで疲労はしたくないからね。

ちっちゃな自己主張の時代。ちょっとした有名人の時代。そこで感じることは「邪気のなさ」かなあ。もちろん誰かと繋がりたいという気はすると思うのだが、そこ、わからんでもないけれど、誰彼構わず繋がったのちに突然生じる息苦しさはどう処理したらいいのかなあ?

まあ、そこ、各自でかんがえるしかないか。

プレイは疲れるのね。プレイは疲れる。SNSはプレイそのもの。プレイはプレイとして。灰は灰へ・funkはFUNKYへ。トム少佐はJUNKYへ。

ただ、そこだけしか主張の場がないと、たぶんおれは「気が狂う」んじゃないかなあ。あそこである種の発言をするってことはヒロイズム。ヒーロー・ヒロインとは縁遠い人がそゆことするから居心地悪くなるんだろうね。

プレイの訳語のひとつ、遊び、遊びの場だったら悪くないのかな?そうね、きっと。

そこでの自己主張ほど「醜悪」なものはないけどね。醜悪なものを引き出す装置でもありますね。ちいさな発信者の自分とあまりにも広く大きな受信する世界が等価に一瞬思えたりするので。

「世間」では、自虐ネタがいいよね。
posted by 浪速のCAETANO at 11:21| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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