2015年07月31日

うーん、どーなの?

ひと月に1000円弱ほどで数百万曲「聴き放題」は「聞き放題」となり値打ちないなあ、とか思う世代の一人だ。

レコードで育ったんだからしゃーないかとも思う。聴くと聞くはやや違う。LISTEN TOとHEARの違いかね、とも思うがもっというならcarefully listen toだろうか?

しかし、そんなに「手に入れることが」EASYなものを「愛せる」のだろうか?もはや、音楽は商品でさえもないのか。じゃなにさ?環境?空気?水以下であることは確か、ね。

しかしそんなことして「いいのか」?おれは疑問。ものの値打ちに対する誤解をサルたちにあたえてしまわんかなあ?マドンナも「タダで手に入るものなんてないのよ」と言っている。姐さんに同意するけどね。

しかし、世にはまだまだ素敵な曲が「埋もれている」。その埋もれている曲がお金をほぼ使わずに、みなさんがそこまでリーチできること。それはいいことなのかも知れないが、うーん、難しいな。ただ、これはおれたちが、というか、おれが、だけどこれまでかけてきたコストはもはやPAYされない、というマニフェストとも受け取れる。おれたちは「俳人」と同じ立場になったということね。

音楽なんてものは「空気を震わせて」なんぼ(まあチョク耳小骨を、でもいいけどさ)、であるとするなら、その曲がそうやってそのAVAILABILITYが高まることはいいとは思うのだが、音楽やってるやつは「greedy」では基本ないからね、経済音楽のひとはしらんけど。この曲でなんぼより、そんなことより、この曲届け!という気持ちの方が強いわけで、そしてその演奏自体が「楽しい」わけで、ここ、にわか音楽家には「?」かも知らんが、長いことライフワーク化してる人間にはわかる。そして実に「生活に余裕がないと」音楽はできません。いや、ギター一本あればできる音楽もあるし、おれはギター一本で他の楽器をみなさんに「幻聴」させるぐらいのことはするけどね、それ、意味ちゃうの。INTERPLAYの楽しさが演奏の楽しさの多くを占めるからね。

ある種の豊かさがその根底にないと音楽はこの日本ではできない。その豊かさの中には「経済的」なものも多くではないがあるということね。もちろんそれだけじゃないが、豊か、のなかには優しさも入ってて、その優しさの発現には余裕がいる。そもそも音楽は特殊な営みだからね。エネルギーです。腹減ってちゃだめなのよ。びんぼー臭い、が致命的な形容であるとおれは思います。精神における「非貧乏」はやっぱリアルビンボーではなかなか難しいな。

で、音楽それ自身に関してはそれが多くの人の耳まで届くことにはYESながら、それを生み出した人間へのCAREがなされないとすると正味のボランティアか、わしらは!?と誰かが怒る気がする。おれは「大衆音楽」を演ってるつもりだが聞き手が「?」という態度になるといった「特異」なミュージシャンだが、まあいろんな経緯というのがあるんだけど、だから、自分の曲をいろんな人が聴いてくれるならそれは単純に嬉しいが、しかしそのぅ、資本側の態度というか、音楽が「商品以下」みたいな扱いをされるとなるとなかなか気持ちは複雑であると言わざるを得ない。もともと「時間芸術」である音楽だが、その一回性をつなぎ止めようとする試みが録音技術であり譜面だったと思うが、そこで一般化されたものが、まあ一般化されたのちの話だが、中古レコード屋の店の前の一枚100円均一よりもチープということになると、なんだか人の営為をバカにしたような話だなという気にもなる。そして「モノ」がないということが切ない。

しかしだんだんわからなくなってきた。おれの立ち位置の中途パンツがその原因かもしれない。




posted by 浪速のCAETANO at 11:49| 大阪 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック