2015年12月27日

globalのうそ

まず、来年は「global」という言葉を「ちゃんと」使おう。今使われてる意味は「くそアメリカン」という意味だよね。

くそアメリカン・をグローバルという言葉に乗っけて隠して流通させた専門家たち「quilingism」である。

globe、global・本来は「素敵な」概念だった。人工衛星からの地球を思い出してみたらいいね。水が溢れ、それは液体・気体・固体という状態で存在し、それは生物学的なニュアンスでまず第一義的に考えるべきなのだ。決して資本主義的な意味ではなく。マネタリズムなんかもってのほかなのね。

globeが体現するものって「多様性」であるはずで、それは細菌・微生物からおれたちに至るまで、ほんといろんなものが存在し、そして入れ替わっている。その多様性とその状態をキープしつつのダイナミズムがglobeの面目躍如だよね。

その資源をとってみても、それがあんたとあんたのモンって「誰が決めた?」と誰しもが突っ込みたくなると思うね。そのリーズナブルな解答は「みんなのもの」だと思う。

その本来「まことに善き意味」が「もっとも忌むべき意味」を表すことになり、しかし本来の善き意味の上着のままだから、誰も何かしら反対できない、そんなことになってもう何年?

だから、そこの本来的な意味を早い段階で修正しなかったことのツケが、カウンターの概念に「ローカリズム」を持ってきたり、無理やり「グローカル」なんて言葉をねつ造したりね。

あのですね、そもそも「グローバリズム」は「ローカリズム」の集合体よん。そこにはそもそも「断絶」のなどないのだ。「くそアメリカン・スタンダード」との間にはあるだけなのね。

一つの言葉、たった一つの言葉のシニフィアンとシニフィエを厳密に再規定するだけで、世界が変わる可能性があるとおれは思う。

「グローバル・スタンダード」を「くそアメリカン・スタンダード」によ。世界中のひとがこれを使えば絶対変わる。






posted by 浪速のCAETANO at 11:24| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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