2016年03月11日

5 Anos desde……

あの長く気持ち悪い揺れ、まだ記憶にある。

阪神淡路とあともうひとつ激しく揺れたことがあった。中津で経験したな。それとはまた異なり、震源の遠さから、体感度は異なるあの、長く内臓がいつまでも揺れ続けるような「酔い」にも似た感覚。

最近死んでいった人々、友人たち、当然当時は関西で生きていたわけだが、どのくらい「非・他人事」といったニュアンスを持っていたのだろうか?聞いてみたかった。聞いたような気もするが、忘れてしまった。

死に方は千差万別。でも行った先は同じ(かなあ?)。まあ、高瀬だって、その数日前のバスの事故をおそらく他人事と思っていたはずなのだ。まあ、そのう、早いか遅いかということなのだがこの半年間の自身の喪失感はまだそう簡単にはそれらによる混乱が収まらず、人の死に対しても「不感症」になる方がいいと、脳みそが指示している。どうも、そんな気がしてる。「戦時」の感覚に近いんじゃないかと思う。ただ、オノレが死ぬことに関しては怖さはない。

生き残ることがいいことなのかどうなのか、それもよく分からんのだよね。いや、ほんとに。生きれるだけ生きましょう、などと、誰でもいいそうなこと、が結論となる。しかし、日々の「姿勢」が人の命の長さ短さに何か「貢献」するとも思えない。ほんとに、気まぐれによって生かされ・殺され、ん、「誰の」気まぐれ?


ただし、生き残った者は生き残ったが故に「なんか」しましょう、ということね。生き残った者たちと。大して時間もないが。生き残ってる間に。


もうすぐ14:46だったかな、あの時刻がやってくるが、あの瞬間に日本は終わったんだよね、実質的には。それまでにも内部は随分腐食してたんだけど、あれ、で実質・チーン、だったのだと思う。おれたちはそれによってだいぶ減速させられたがまだ残っている「慣性」に乗って生きているということね。

被爆に関して「半径600km」と言われてる。真偽のほどは「?」だが、大阪はギリギリ入ってる。ここで一気に科学から遠ざかって言うなら「もう、みなさん・癌ですよ」ということね。

癌で普通。

お通夜・葬式慣れしておれはちょっと「スレて」しまったのかもしれない。スレないとキミがイんでまうで、とおれの中枢が指示してるのかと思う。

人工物を「環境」として生きざるを得ない。ここ別の話だが難しいとこね。そういう人間は自然の猛威には弱いことがすぐに予想されるが、その、時に猛威を振るう自然とは異なる「飼われた人工の自然」を自然と思わされつつ生きているという二重の倒錯の中にいる。その挙句、自分ちのネコのつもりで「かわいいね・キミ」と手を出したらキョーレツにノラ猫に引っ掻かれる、みたいな。合ってる?

みなさんも曖昧だと思うのだが、震災・津波(主に津波だろう)で亡くなった方が最も多いのは宮城県の10778人、次いで岩手県の5797人、福島県は1810人。さらに「二次災害」というか「人災」というか避難所を転々としたり、メルトダウンで県外に避難したり、所謂住み慣れた場所を離れること、精神の痛みも遠因となるような、関連死っていうのこれ、あんまりいいネーミングじゃないよね、とにかくそれで亡くなったかたが福島県では2026人と津波被害を上回る。自殺された方も150人超だ。

絶望よね。絶望。希望があるようでなかったこの国、しかし対極の「絶望」をそんなに多くの人々感じさせてはあかんやろ、と思うけどね。見つかってない方々も2000人超。この辺のどっかにいる、間違いなく、と思いながら生活しなければならかった遺族の方々の心境に感情移入するならとてもやりきれない。切なすぎる。忘れちゃいけないが時に忘れないとオノレが生きていけず、しかし忘れたオノレをそこで責めつつもやはり目の前のことに集中しなければならず、あ・また忘れてたと自責の念にかられ、しかしその思う大切な人の身体の欠片さえもまだ回収されてはいないのだ。

狂ってしまいそうだ。

まだおれは幸せな「見送り」をしているのかもしれない。


北北東の方を向き手を合わせたいと思う。














posted by 浪速のCAETANO at 12:21| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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