2016年03月21日

Fandango スタッフたちと

「当たり前にある日常のありがたさを胸に、僕たちはグラウンドにたちます」

センバツ初日のヒモトくん(小豆島高校)の選手宣誓より引かせていただく。

過疎化と少子化により高校が統合されることを言ってる。が、その潜在意識はもっと底流にまで達しているんじゃないかな、そう思う。

震災のことも頭にあっただろうが、もっと深いところ。人為的なこと。

「戦前」が匂ったけどね。


高瀬パパの忘れ物を届けに園田まで。最後に線香をあげ、高瀬のキッタ酒店での残り物の焼酎を分けて飲んで、また会いましょう、と。

彼と大阪を繋ぐものがこれでなくなる。


その後、「Fandango 同窓会」。

いや、なんて言うかなあ。来年30周年というから1987か。おれもまだ20sだもんね。ほどんどドシロートのスタッフとバンドで作り上げたあの現場。特に最初の5年。あの熱。

PILIPILIの追悼やしいちゃんのおかあさんの追悼で顔をあわせるキーのメンツに加えて、昨日は懐かしい顔がいっぱいおったなあ。みんな元気で良かった。ひとり一晩Todo O Mundoに呼んで飲み明かしたいよ。

現役組も早めに閉めて合流して、まあ鶴一とも話して誤解も解けたと信じる。またやらせていただくよ。k子ちゃん、いなかったのも良かったね。あのク●おんな、ね。

あの時代のあの場所、いったいなんやったんでしょう。解明して記しときたい、という話もした。ドシロートなりの先例のないtextもない中の、無謀な突破力なんだろうけど、おそらく。だから業界っぽいスタッフの参入でパワーダウンしたもんね。先の高校球児の言葉ではないが、当たり前のものはその当たり前さが無垢な分、経済システムの横槍にもろい。

なんかさ、コンサルであるとか、SEOであるとか、そんなものがすぐ後ろを追っかけて来てた時代でもあった。

しかし、あんだけの現役・旧スタッフが集まって、しかも嫌なヤツは来ない、それはヤツらにとってあそこが「栄光」である証拠。きれいなままで残ってるのね。みんなそれなりにおっさんおばはんなっとるが、あそこをあの「時」を回復したいんだよね。特に「離れた」やつはね。

ちょっと思うのだが、可能性ないのかなあ?まだ微かに残ってるんじゃないかなあ?と、ナイーヴなふりをしたくもなるっちゅうもんよ。

いや、やられっぱなしもあかんで。

クワトロやミューズもハコとしての完成度は高かったが、やっぱりあの時代はFandangoが一番。サブがサンホール。当時はよく東京のバンドと東京でも大阪でも対バンさせられてたが「A DECADE-IN FAKEはFandangoで見ないと」というのが定まった意見だった。BODYとかカーリーショッケールとかほとんどケンカ腰だった。しかし、それが面白かったな。サルサ・ロックにルムバ・ロックにファンク。そんな音楽的実験もふつうに出来てた。

両脇にシーラと岩崎その横にHONZIとカオリーニョ藤原、うしろに友野とキタバヤシジュン、そして亜熱帯ホーンズを従えてパンキーズークのビートからおれの渾身の「赤道太郎」のイントロで始まるあのノンストップ3時間ライヴ。その手触りって言うの?そんなものがすこし蘇ってきたね。できないかな?「光合成All Stars」みたいなライヴも。

こんなこと思うのってそれを知ってるヤツらばっかりと昨夜いたからだろうか?




















posted by 浪速のCAETANO at 11:21| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック