2016年04月01日

エイプリルフール

なんか、敢えて「うそ」つくこともないね。

本当の顔したうそ、うそだとわかるうそ、そんなものに溢れかえってるからだ。

tvの(ネットの中もさほど変わらんが)ニュースも「本当の顔したうそ」だらけである。古館くんが昨日、「…からの圧力は一切なかった」と「明言」していたが、さて、どうだろう?公の場での発言が、こんなにも「ええかげん」な時代もなかったんじゃないの。おれたちは首相の予算委員会での発言に慣れちゃってるからねえ。議事録の残る公的な発言がウソにまみれてる、という不思議な時代である。公的な発言はmetaphysicalである、という、これこちらの国特有の現象なのか?

その後、news23を見に行ったらバカボンのパパはもういなくて星が出ていた。

「つまんね」と思い、店へと出勤。

マレーシアの行方不明の航空機のパイロットが宇宙人に連れて行かれてた、なーんて「うそ丸出し」のネット情報を信じてた、某IT会社の取締役もいた。

「すいません、うそやったみたいです」と翌日メールが来てたけど。だはは。

リテラシーそれ自体がこんがらがり、迷走してる。

仕事に追われてる人なんて「うその海」を方位磁針も持たずに泳いでるってことね。うそに溺死ね。

ムヒカ元ウルグアイ大統領が来日することになってる。そこも「商売」になるわけで、この新自由主義全盛の国に。こんな皮肉もないなあ。

豊か/貧しいの定義から始めてよね、と言いたい。彼のお話を拝聴するとするなら、まずそこから。その前提がないとですね、地球の裏側の夢のような出来事で終わるからね。Birnieだってそうである。

今はなんだかわからないシステムだけがモンストロウザしてしまってわかりやすい成功が巨額のお金を生む(ことになっている)。おれはそのシステム自体に「?」だけど、なぜかというとそれは多様性の「敵」だからだ。しかし、そこをIMPRINTされてる人たちには「?」という顔をされる。「前提」が異なる一例だが。資本主義にシステムとして疑問を抱かない、っていうのがやっぱこちらとしては違和感覚えるとこで、そこ思想じゃなくておれに言わせると「信仰」に近い。信仰ってそれを相対化する視点からはなんか「キモっ」てなるよ。

消費者しかいない国。そのカウンターもあるのかもしれないが、そのカウンターさえもがやっぱり「消費」されてしまうのも否めない。チカラ抜けるとこだけどね。

平等を志向することが危険視される、の意味がほんとうによくわかんないのね、おれ。知恵遅れだからか知らんが。

その信仰対象の資本主義はもう最終章ですが。収奪対象が「身内」になってるんだから。タコがオノレの足食ってるみたいなこと。まあ、タコなら8本あるが。あるいはオトナのイモリみたく「再生」できればいいんだけどね。

信仰自体が「チカラ」を持ってた時代ならまだしも(60・70sだけど)、その内部にいる安心感とは「見たいものを見る」そんな思考停止とバーターである。一方、その閉塞感もたっぷりあるでしょ、今って。だったら、その「外部」ってどうなってんの?そんな発想はないのか。ないんだったら、そこ、チーンだけどね。信仰の強さが生き延びる要素ではないでしょ。

その発想はBirnieやムヒカの言ってることの中にあるし、おれだってそう思ってる。右とか左とかも関係ないし、そんな「お遊戯」、面白がってやってる「場合」でももうない。アメリカのケツ舐めるのが生き甲斐の自称顔だけ右翼・そんなややこしい人種がキーのポジションにいるのが厄介だけどね。

「欲望」にはキリがないが消費にはキリ(限度)がある。…放題という発想・商法、憎んでいるが、それって「その先」ないでしょう。ほんと「マイナス金利」と同様の発想よね。ここ、カリカチュアよね。そんな金融政策を短期的視点でもやっちゃうとはもう国自体が「冗談」みたいな存在になっとるわけよ。

笑うしかないけどね。笑い疲れた先にはあんまりええもんは待ってないよ。これ、ほんと。












posted by 浪速のCAETANO at 16:08| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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