2016年06月17日

高瀬の追悼を終えて

まあ、また店長、財布なくす(n回目、4<n<7)、クオカード10000円ゲット、などプラスもマイナスもある1日。店長のみどちらもマイナス。クオカードin 財布。

高瀬の追悼、凸凹ありつつ、終わった。一つ肩の荷が下りた。

かおるちゃん(カオリーニョ)ほんと、ご苦労さんでした。本来はおれがやるべきだったのだ。純ちゃんの追悼の翌々日の深夜に逝っちゃうわけだからおれのダメージといったら言葉にならず、実際しばらくの間、言葉を失っていた。高瀬に関して「何も言えなくなってた」。一般的なことは言える。でも、そこまで。

5ヶ月弱である人間のことを忘れろと言われてもそれは人によるわけで、相対的若者の、アッケラカンは羨ましいと思う。彼らだってほんとのところは見せてないのかもしれないが。

しかし、昨日のライヴ総勢12.3組。どの人々もクオリティ高く、モルモッツを手伝ってもらったスーパー・ギタリストによれば、「Fuji Rockのようだった」との発言あり。彼はほぼ毎年行っている。出てもいる。その彼がそう言ってた。おれたち、おじさんチームは元より、「若手」の藤井拓の周りの人々、なかなか面白い。何人か一本釣りしたい人たちいた。藤井拓はその中心にいるね。素晴らしいギタリスト。周りの人々、クラシック畑多いみたいだが、どんどん垣根は低くなってるなあ。大歓迎。プレイヤーはどんどん越境すべきなのね。行き着く先はポップ(大衆音楽としての)しかないのだ。その際にその技術が役に立つ。いつだっておれは彼らをプレイヤーとして見ている。こちらは音楽「作る」人間だから出自は問わない。彼らにとっても「グルーヴ」の実感はおそらく目から鱗、と言うか、新世界だと思う。行き着くさきはポップしかない。

ポップと聞いてJ-popか?とそれは「あんた低脳」なわけで、あれは一番ウンコな貧乏でアホな若者からなけなしのカネを巻き上げる経済音楽。。ちょっと、こちらの国ではポップという言葉、狭義に展開しすぎたね。全然ちゃうから。

高瀬のご両親も明日また警察へ行くと言っていた。加害者のバカが、その瞬間のことを「覚えてない」と言い続けていると聞いた。酒も入っていないとも聞いた。そのバカの前を走っていたクルマは高瀬を避けている。スピード出し過ぎは否定できんよね。「真相を知りたい」という両親の気持ちは「当然」だろう。おれはそいつの顔面を正拳突きしたい。そして、結局虚しさに襲われるのだろうが。でもいい。

昨日の「fina estampa」一番は本人で、二番はパパにした。ここ、数少ないおれのライヴのエンターテイメント部分である。「高瀬仁のテーマ」もこれでしばらく歌うこともないだろう。両親も息子の大阪生活がいかに楽しいものだったか、そして、みんなにいかに愛されていたかダメ押しでご理解できたのでは、と思う。

高瀬の死に関して、これは何にしても、なのだが、語る言葉があるかないかが決定的にその死の極論を言えば値打ち(そんなものがあるとするなら)を分ける。今回の「言葉担当」はおれだった。その役割を果たすことができて本当に良かった。

かおるちゃんはじめ、出演者のみんなに僭越ながら「Muito Obrigado」と。













posted by 浪速のCAETANO at 16:38| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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