2016年06月30日

聖徳は消えてるけど

夕暮れの空からの光線が、ビルに跳ね返って、ビルが赤みを帯びていい感じだ。「一見」平和に思える。天気はやっと回復みたいね。

期末テスト。中坊に因数分解教えながら、JKに飛鳥〜奈良の「専門分野」を。歴史の裏話。なんで、天智が自分の娘を何人も天武に嫁がせたのか、とか。なんで天武がその称号がそこにしかでてこない「大皇弟」なのか、とか。簡単なとこでは白村江の戦いでボロ負けしたはずの「日本国」が直後になんで論功行賞をおこなえるのか、とか。余裕のあるJKだから、お勉強とは別の話として面白がってる。おれもちょびっとだけ調子乗って、さらにディープな話を。

高校の日本史の先生、若干気の毒である。理屈に合わないことだらけで、澄んだ目をしたキュートなJK(まだ存在していたとするなら)からたとえば上記の質問をされたらどう答えるだろうか?興味深い。

天武は大海人皇子と言う。この大海人(アマ)が大変大きなキーワードなのね。天皇は「名字がない」ことになってる。平成天皇はアキヒトくん、「希望します」の昭和天皇はヒロヒトくんである。

リアル天皇家には名字有り。

天=海人=アマです。

天武は、だから、大変高貴な出、であるということがわかる。どこの人かは想像してみて。

京都の某神社。

天武系天皇を排除して天智系天皇だけを祀っている。天武系を外さなければならない「理由」あったんだね。その「血」はその後の「天皇家」にとって忌々しいものだった。天武の息子、長屋王(正しくは長屋親王)も藤原に排除される。親王というのは皇太子ね。おとーちゃんは高市皇子。つまり高市天皇。じゃないってことになってるけど。都合悪いね。藤原には。そしてその「高貴な血」はどうしても許せないのね。

8世紀は女帝の時代。持統にはじまり元明、元正、そして称徳(孝謙)と文武、聖武を挟んで四人いる。この「事後処理」の100年間、なんの後処理かというと「白村江」の後処理なんだけどね、ここ興味深い。藤原氏の世というには、その目論見の割に彼らも何度もピンチを迎える。四兄弟が次々に天然痘で死んだり、恵美押勝が称徳に敗れたり。

広嗣がなぜ「太宰府」で挙兵したのか、とか。日本書紀の記述だけでは因果関係が全然わからないことだらけである。

京都に遷都してからですね。「今」との繋がりはそこからはだいぶ見えてくる。貴族化も進む。しかし、そこまではドタバタである。8世紀末までは。どう転んだかわからない。

もうさすがに聖徳太子は「出てこない」みたい。ただ、厩戸皇子がその役割を担ってるって。バカですね。息子の山背兄皇子一族の、蘇我入鹿による惨殺。九州の皇族の実話の言い換えだね。父の用明も架空です。

この時代、6世紀末から7世紀にこちらに天皇はいないです。残念ながら。だれが近畿を仕切ってたかというと蘇我氏ね。蘇我氏って突然登場するよねどこかから送り込まれた監視人だからね。ただ、それがこちらの人々にとってはカチンとくるわけよね。で乙已のクーデターで蘇我氏を全滅させる。憎さ100倍。蘇我氏を悪党化する。馬子、蝦夷、入鹿という仮名のおかげで本名さえわからない。入鹿のみ蘇我鞍作太郎とかろうじてそれらしき名がわかる程度だ。

しかし、聖徳太子の「創出」はなかなかすごい。隋書倭国伝により、ウソはチョンバレながら、なかなか良くできてる。まるでその後の(含む今)お人好しの日本人の心性にぴったりなストーリーである。架空の人物を創出しておいて、その子の一族もすべて絶滅させる。だからその血を引いた子孫はどこ探しても、いない。完全犯罪。

憲法改悪されたら聖徳太子復活するのではないかな。












posted by 浪速のCAETANO at 20:53| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 古代史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック