2016年07月20日

ニアリィ猛暑日やんか

蝉がじーじー激しく鳴いている。「やらして〜!」だが、やれるかな?やらしてあげて、蝉女子、とお願いしときたい。外野の無責任発言。

ぼんやり梅雨明けし、本日外出たら、なんじゃこれ、な暑さたっだ。エポック・メイクな何かがあるんじゃないんだな。政治の様相と似てるね。なんとなく生きてたら、戦時だった、みたいなことね。実際、おれの周りの人に死に方は戦争中みたいだが。その頻度において。

明日から、夏期講習的なものがあっちとこっちで始まるゆえ、暑い〜、とそれだけに対する感想で済ませられるのは本日最後かな。ま、いいんだけど。初動は「うーん、もうっ!!」だが、すぐ慣れる。何にでも慣れる。順応の動物、その名はhuman being。

改憲にも戦時にも慣れてしまうんだと思う。治安維持法にも。slaveryにも慣れる。もう慣れてる、が正しいか?おとなしい。近畿王朝の伝統。謀略には長けてるんだけどね、その代わり。

クソど田舎だった近畿が九州王朝を併呑したのは7C末〜8C初頭。そこから1世紀経って長岡〜京都と遷都して九州からパクった律令も機能しだし、今の京都に繋がる「日本的洗練」が始まった。まあ、それも最初のTEXTは九州の洗練ですよね。クソど田舎もんにはノウハウなどないのでね。

白鳳文化というのがある。主に飛鳥時代のそれを指す。そのご奈良に遷都してからの1世紀は、天平文化と学校では習う。不思議なことに時代のより古い白鳳のほうが天平よりずっと洗練されている。白鳳の例えばお寺、大官大寺にせよ法隆寺にせよ、ひょっとしたら法興寺でさえ、九州から移設されたものだからね。法隆寺の元寺は椿市廃寺ですが、今の行橋市にある。ぐるぐる巻きにされて日本が戦争負けなかったら、フェノロサ来なかったらいまだにきっとぐるぐる巻きの、夢殿から出てきた「救世三尊像」。木綿でいく重にもぐるぐる巻きにされ、延髄らへんには刃が刺さっていた。何かを、当時の権力が「封印」したかったわけね。

聖徳太子とか、そんな間抜けなことは言わんでいいです。聖徳に比定というかそのネタになった人物の像です。姓ははアマ。

白鳳の方が洗練されているのは言うまでもなくそれまで栄華を誇った九州王朝のものだから。

その洗練の蓄積はその後100〜200年分はあったはずなのね。とするなら、平安京における栄華と洗練も実は九州倭国の文化的遺産がその根本にあるのは明白だね。

磐井の乱の磐井は倭国の「天子」であるが、その墓(古墳ですが)には裁判を描いた石像が配置されていた。九州の律令が「遅くとも」500年代に存在したことの動かぬ証拠である。近畿なんてそれをパクって大宝律令がやっとこさ701年だからね。いかに土人だったかの分かりやすい判例ね。

柿本人麻呂も九州人である。万葉仮名も九州でできた。万葉集には九州の歌が驚くほど少ない。なぜでしょう?

古今和歌集の「賀歌の第1番目」に紀貫之がいわゆる「君が代」を選んでいるのはなぜ?詠み人知らず、題知らず、となってる。なぜ?あれを国歌というなら言えばいいけど、そもそも「文脈」がまったく異なるのね。あの「君」はその「君」ですらなく、この「君」なんてとんでもないのね。おれは歌えるね。なんの問題もなく。真実を知れば知るほど、薄っぺらい右だと自称する人たち、それを歌えば歌うほど「不敬罪」であるという逆説度が深まる。愉快愉快。

詠み人も題も紀貫之は本当はわかってた。詠み人は今じゃ知るよしもないが、タイトルは志賀島で行われる「海ほめ祭りの第一連」です。安曇氏を歌ったという説もある。おれは違うと思うが。その対象は、普段は太宰府にいるのね。御笠川を年に一回下ってきます。そして志賀島へ。おれの「太陽女王」だね。女帝だった可能性、ある。「きみ」が女王を表す例が多々あるので。

日本書紀のウソは分かるにしても「何処が嘘」がわかってないと、なんの意味もないねん。








posted by 浪速のCAETANO at 16:55| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 古代史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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